漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

RPG的世界観とメタ視点からの解釈の時代性関連

 ちょっと前に、えんどコイチの「オリジナルクエスト」の電子版を買って久々に読み直してました。これは90年代の前半に描かれた漫画で、「ついでにとんちんかん」のキャラクターたちがRPGの世界を舞台に、その世界にツッコミを入れまくるような漫画です。

 ゲームはゲームとして面白くするための整合性が存在するので、それを無視して現実に置き換えたときに不自然になる要素が存在します。それに何故なんだ??と疑問を投げかけツッコミながら、さらわれた姫を助けるために魔王を倒す旅に出る漫画です。

 

 これは25年以上前の漫画なので、今読むと既にやりつくされていると思ってしまうような内容でもあるのですが、当時の僕にはとても新鮮な内容でした。この時期にはこれ以外にも似た種類の色んな漫画が生まれてきていたように思います。例えば「魔法陣グルグル」であったり、「レベルE」のRPG惑星の話であたり、ゲーム的お約束の不自然さを逆手にとってギャグにするようなお話が沢山生まれていました。

 

 それはつまり、「家庭用ゲームでRPGを遊ぶ」ということが、世間的に十分に一般化が済んでいたということではないかと思います。だからこそ、皆が知っているそれの不自然さを指摘することがギャグとして成立するようになったのではないでしょうか?

 結構前に聞いた話ですが、お笑い芸人のショーレースを予選から沢山見ている人が言うには、「ドラえもん」や「サザエさん」のネタをやる組が必ずいるとのことでした。それはつまり、誰でもドラえもんサザエさんは知っているという前提があるからこそ、ネタとして成立するということです。RPGにメタにツッコむことが成立するということは、RPGがある程度その領域まで広まったということで、だからこそ、その遊びが楽しかったんだろうなあと思いました。

 

 RPGへのメタ視点は、例えばゲームのアニメ化や実写化のような別媒体展開のときにも必要になってきます。なぜならば、モンスターを倒せばお金が手に入るというゲーム的に当たり前のことを映像として再現しようとするとき、モンスターのどこからどのようにお金が生じるのかを描かなければならなくなるからです。例えば、ドラゴンクエストのアニメでは、宝石モンスターという概念が導入され、ゲームの中のモンスターは宝石から生み出されており、倒せばまた宝石に戻るので、換金可能という説明がつけられます。

 そして、そんなメタ視点は、その後、ゲーム自体にも反映されていくようになります。分かりやすいところでは勇者という概念を主観ではなく客観で見せるゲーム「MOON」があります。RPGの勇者という存在が現実に存在したらと考えたときに、その行動の珍奇さはゲームの中では儀礼的に無視されますが、それを無視しないのがこのゲームでした。

 そして、ゲームの表現力がデフォルメからリアルに変わってきたときに、それまで無視できていた不自然さにプレイヤーも開発者も向き合っていく必要が生じていたように思います。とはいえ、いたずらに不自然さを排除し、現実に則した表現に置き換えるだけでは、ゲームとして不便となってしまうこともあるでしょう。

 

 例えば、「バイオハザード」のアイテムボックスは、どの場所で道具を入れても、別のどの場所でも取り出せる不自然な存在ですが、あれがないとゲームそのものがとても不便になってしまいます。「バイオハザード0」では、アイテムボックスを廃し、床に物を置ける仕組みが導入されていて、あれはあれで制約として楽しかったですが、不便は不便でした。

 ゲームをする上でゲームを面白くする以外の不要なストレスは排除する方向になりがちですから、「ドラクエ」でも物は無限に持ち歩けるようになりましたし、オープンワールドのゲームでもワープで移動できるファストトラベルが存在して、常に歩くことは求められません。「シェンムー」では待ち合わせの時間までゲーム内時間を待たなければならないなどの要素がありましたが、「シェンムー2」では時間の進み方を早める措置がとられました。

 リアルにすれば、リアルですが、それがゲーム的な便利さや楽しさに寄与するとも限らないわけです。

 

 そんな時代を経てきた結果、現在は、ゲームのゲーム的な不自然な部分を様式美としてあえて受け入れる割り切り方や、上手いこと整合性のとれた解釈を行う方法が色々とられているように思います。具体例を挙げようかと思いましたが、書くのが面倒くさくなったので、自分でそれっぽいものを思い浮かべてください。

 

 RPGの不自然さの隙間を埋める試みは色んな作品で行われていて、例えば「ダンジョン飯」では、ゲームのお約束であったはずの設定に、上手く説明付けられる解釈が与えられています。異世界転生ものについても、僕はあまり詳しくはありませんが、RPG的世界観の中で、なぜそれがそうであるのかの解釈が描かれているものが沢山あるはずです。そういえば、「ドラゴンクエストユアストーリー」では、懐かしの宝石モンスター概念が導入されていて、戦闘描写は様々な工夫があって面白かったですね。

 

 ゲームの不自然さにツッコむという遊びは、二十年以上の時間の中で、ツッコむだけではなく、それを整合性がとれるように上手く解釈するというような方向性にも変化しているように思います。それだけでなく、ゲームの不自然さを何らかの理屈を立てて受け入れることもできるようになっていますし、かなり柔軟になっているような気持ちにもなりました。

 そうやって、色んなことがあったなと思い出したりするんですけど、今ゲームの不自然さにツッコむタイプの漫画を読み返してみて、まあ、昔の漫画だなとは思うんですけど、でもこれが面白かったんだよな。今でもその気持ちを思い出せば十分面白いしと思ったんですけど、この面白さを今他人に、特に若い人に伝えようとしたとき、うわ、全然伝わらねえ…というような気持になったので、なんかこれもその時代を生きてきた人間にだけ感じられるものなのかもしれない…と選民意識を感じたりしました。