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内気な少年による少年兵の過去幻視関連

 内気な少年による妄想類型として、学校にテロリストが襲ってきて、その中で自分が大活躍をするというものがあるそうです。他人事のように書きましたが、他人事ではない気がします。

 

 これは普段は目立たない少年(妄想の主体)が実はすごい力を隠し持っていて、それを発揮することで、自分を侮っていた奴らも、気になるあの娘も、自分の評価を改め、羨望のまなざしを向けてくれるということによる大逆転感を期待した妄想ではないかと思います。さらには、漫画や小説で得た様々な豆知識を発揮するチャンスでもあり、めちゃくちゃメリットがあるので、ああ、なんでテロリストは自分の学校を襲ってこないのだろう?と思ってしまいますよね。

 

 さて、いざテロリストが襲ってきたらどうでしょう?実際にはきっと何もできないと思います。だってテロリストと実際に戦う技術を自分は体得していなかったりするからです。人によっては格闘技を習っているかもしれません。でも、銃を持って武装した集団との戦いに自信がある人はごくまれではないでしょうか?

 自分はろくに喧嘩もしたことがないけれど、でも、テロリストが来たら大活躍したい。そんな少年にやってくる新たな願望が、自分は実は外国で少年兵だった過去があるという幻視ではないかと思うのです。

 自分はもしかすると少年兵だった過去があるんじゃないか?そう思うことで、全てのつじつまが合うわけですよ。

 

 これは数多くの少年漫画でも採用されてきた事例です。

 

 例えば、スプリガンの御神苗優は、子供の頃にさらわれ、殺人機械(キリングマシーン)としての訓練を受けたという過去がありました。普段はおちゃらけた顔を見せる少年ですが、ふいにキリングマシーンとしての顔がのぞかせ、驚異的な戦闘能力を発揮したりします。しかし、そこには葛藤があるわけですよね?自分は機械ではなく人間であると。誰かに使われる道具ではなく、ひとりの意志を持った人間であると。

 以前、病院で番号で呼ばれた人が怒るという出来事があり、すごく叩かれたということがありました(これは最終的にとても悲しい話になりました)。でも、それは御神苗優だって同じことですよ。生産管理された機械としての、誰かに利用され、利用価値がなくなれば捨てられるだけの、道具として扱われていた自分と決別するための、「僕はNo.43じゃない!御神苗優だ!!」だったわけじゃないですか(台詞は記憶で書いているので正確じゃないかも)。

 

 少年兵であった過去は、その決別との葛藤の中でドラマが生まれます。たとえ、日本で銃撃戦とは全く縁がなく生まれ育ったとしても、そこにドラマを求めるならば、自分は少年兵であったのではないか?という幻視はメリットがあることでしょう。なぜなら、それがそこに到達する最短距離だからです。

 

 さて、ベトナム戦争という出来事は世の中に大きな禍根を残したもので、その影響は、数々のフィクションの中にも見られるようになりました。80年代にはベトナム戦争から帰ってきた男たちのPTSDが取り上げられた物語が数多く生まれています。例えばベトナム戦争における少年兵体験があったとした場合、80年代はかつて少年兵であった中高生にとってギリギリ活躍できる範囲です。

 

 「シティーハンター」の冴羽は、かつて中米のゲリラで少年兵をやっていた男です。「ジーザス」のジーザスは、ベトナム帰還兵を師に持ち、その後中東で傭兵として活躍した殺し屋です。書いていて思いましたが、僕がパッと思い浮かべるものはベトナム戦争は直接関係ないですね。でも、その雰囲気とか残り香とかがあったわけですよ。それらを元にした数々の映画の影響は漫画にも反映され、軍需産業や密林のゲリラの中に、少年兵の可能性があったと感じています。

 

 しかし、90年代も進んでいくとそれが段々と難しくなります。そのような残りがも薄れ、時代も合わなくなっていくからです。例えば、自分が少年兵であったとして、その舞台となった戦場とはどこなのか?という問題も出てきます。もちろん、世界の各地で紛争は起こっており、戦場はまだまだどこにでもあるでしょう。でも、自分の少年兵幻視がどこの何であるかを決めることは、適切な知識がなければだんだんと難しくなるのではないでしょうか?

 冷戦終結後には大きな戦争の恐怖は少なくとも表面上終息し、大国では紛争よりもテロリズムに注目が集まるようになります。

 

 皆川亮二の「スプリガン」では主人公は元少年兵でしたが、「ARMS」の主人公は元伝説の傭兵夫婦に人知れず戦闘とサバイバルの技術を仕込まれた少年になります。90年代にベトナム戦争や中東の戦争から続く悲しみを抱えた主人公を描いた「ジーザス」は、「闇のイージス(世界観を共有する)」ではテロリズムを描くようになります。

 

 「テロリストが学校にやってくる」という妄想は、ここにも時代性が反映されているのではないかと思います。大国同士やその代理戦争によって生み出された強大な力が、その後のテロリズムの時代に、陰のあるものを光に変えるために使われるという話です。

 現代の少年たちも、まだテロリストが学校にやってくる妄想をしているのでしょうか?そしてそのとき、自分の戦闘能力がそれに足りないという事実はどのように辻褄が合わされるのでしょうか?

 

 もしかすると、その隙間を埋めるような状況として今重用されているのが異世界転生なのかもしれませんね。あるいは、異世界から登場した何かが特別な力を与えてくれるという話です。両方とも、「自分自身が平凡である」ということと、「大活躍をしてしまう」という相反する状況を埋めるために採用される一手という役割があるように思えるからです。

 少年兵幻視は同じ種類のものだとしても、戦争というものの脅威が視界に入っていた時期だけの限定されたものかもしれません。

 

 というか、ここまで当たり前のように少年兵だった過去幻視があるみたいな話を書きましたが、ハッと気づけばそれは別に一般的な話ではなく、僕の頭の中だけに存在する概念では?という感じもしてきました。昔、学校の先輩から聞いた話では、窓の外を眺めていると宇宙の何かみたいな人が空飛ぶ乗り物に乗ってやってきて、「地球の危機だ!今すぐ乗れ!」と言われて大冒険に出たねという幻視を教えてくれたので、人によって色々あるのかもしれません。

 

 皆さんはかつて少年兵でしたか?そうでないなら、何だったんでしょうか??