漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

イムリがクライマックスなので僕は毎月盛り上がっているぞ!!関連

 三宅乱丈の「イムリ」がここのところずっとクライマックス感があり、毎号楽しみに読んでいます。おそらくは遠くない最終回に向けて、みんなで盛り上がろうぜ!!って思うんですけど、僕に友達が少ないこともあり、周りにあんまり雑誌で読んでワーキャー言っている人がいないので、とりあえず僕が今、ひとりでどう思っているかの様子を書き残しておこうと思います。

 

 イムリがどのような設定の漫画かは端的に説明するのが難しいのですが、地球とは異なる別の星々の物語で、そこにはカーマとイコルとイムリという3種類の種族が登場し、その中で争いが起こります。カーマとイムリの間には、昔大きな戦争がありました。そして、今また同じように大きな戦争が起こってしまうかもしれないという状況なのです。

 この物語は、人と人とが信じあうことがいかに難しいかを描いたものではないかと思います。まだ単行本未発売部分があるので、直近の詳細はボカしますが、人が人を容易に信じることができないために、多くの悲劇が巻き起こります。

 その疑心暗鬼を象徴するようなものが侵犯術でしょう。侵犯術は人を支配するための能力です。人に強制的に本音を言わせることができ、そして、ついには人の自我を奪い、命令に従うだけの人形へと変えてしまうこともできます。

 なぜ、そんなことが必要なのかと言えば、他人が自分を裏切らないかどうかが不安だからでしょう。カーマは侵犯術を使って、イコルの自我を奪って奴隷として使い、侵犯術において強く特別な力を発揮するイムリを取り込んで利用します。

 

 カーマは全てを支配するために、巨大で複雑なシステムを作り上げました。しかし、実は一番弱い種族でもあります。そして、だからこそ、正面から真っ当にやれば負けるしかない弱さのために、勝つための周到なシステムを作り上げなくてはならなかったのではないでしょうか?それは悲しい存在でもあると思います。

 

 人の心を操ることができる強大な力を持つはずの存在が、普通の人間たちによって周到に組み上げられたシステムの中で利用され続けるという構図は過去作の「ペット」とも共通するものです。人と人との間で起こる仕組まれたすれちがいの悲劇は、物語という場に増幅され、取り返しのつかないほどの大きな悲劇として描かれます。

 

 他人を支配するということがどういうことかと言えば、つまり、他人から選択肢を奪うことです。自分の認めた選択以外を選べない状態に追い込まれることで、他人の意志を再生するためだけの道具として扱われてしまうということです。それは本当に自分の人生を生きていると言っていいのでしょうか?

 でも、現実だって結構そんなものです。自分の行動のどれだけが、周りに求められたからやっていることで、それを断る選択肢もなくやるしかないのか。自分の人生の舵を自分でどれだけとれているかは怪しいものだったりします。場合によっては、そのくびきから自由になることすら、誰かの作為に乗せられたことになってしまったりもします。

 

 だから、漫画を読んでいて分かるような気がするわけです。その悲しさが、そして、そんな中で自分の生きるための選択肢を自分で選び取ることの素晴らしさが。

 

 人を信じるということが難しいのは、ただ信じるということの他に、信じれるだけの根拠を求めるという道もあることでしょう。一見、前者の方が後者よりも善良な態度だと思われがちかもしれませんが、そこにも実は選択肢があると思うわけです。前者は仮に騙されたとしても大丈夫なぐらいに強く豊かな人なら取りやすい態度であって、一度でも裏切られれば全て破綻してしまうような貧しく弱い人なら後者を選ばざるを得ません。

 その豊かさの格差が、人の態度の善良さに影響するのだとすれば、その善良さと悪辣さの差は、どこまでがその人自身の責任でしょうか?

 

 もしカーマの引き起こした数々の悲劇が、彼らが弱い存在であったことに起因しているのだとしたら、それは、カーマがおとなしく負けていれば良かったのでしょうか?そこにどれだけの選択肢があったのでしょうか?

 目の前の相手が自分に対して嘘をついている可能性を捨てきれず、強制的に本音を言わせることでしか、信じられないという貧しさは、最初から信じあえていさえすれば必要のなかった無数の摩擦を生み出してしまいます。そうでもしないかぎり、信じて貰えないということの悲しさも含めて。

 

 しかしながら、カーマのしでかしたことは明確に間違っています。カーマの所業によって生まれた不幸に巻き込まれてしまった人たちならばなおさらそう思うしかないでしょう。ならば、この悲劇は何をもってして閉じられるのでしょうか?僕の印象ですが、悪行を重ねたカーマが倒され、残った善良な人々だけで幸せに暮らしましたというような話にはならないはずです。

 カーマの作り上げた支配の構造は、カーマたち自身をもただの部品として取り込み、利用していたのですから。

 

 程度の差はあれ、この世の誰もが被害者で同時に加害者なのかもしれません。作り上げられた構造を破壊することはそんな加害者と被害者を生み出す行為から、人を自由にできるかもしれません。でも、そのあとに残るのが、元々強い者が勝ち、弱い者は負けるのだとしたら、それもやはり、加害者と被害者のバランスを変えただけの別の何かになってしまう可能性だってあります。

 

 人と人はなぜ手を取り合うことができないのか?考えもせずに信じると言ってしまう毒気のなさも、信じるために無限に疑いを抱えなければならない弱さも、両極端ではなく間で悩み続けることにしか、答えはないのかもしれません。

 イムリの長い物語の中では沢山の悩みが描かれてきました。この物語が何を持って終わるのか、僕はそれをめちゃくちゃ楽しみにしています。