漫画皇国

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漫画における「選択と集中」の描写の話

 仕事をしていると、事業領域の「選択と集中」が大事という話がされることがあり、近年はその「選択と集中」に失敗して経営に影響があるというようなものも目にします。

 

 この「選択と集中」ですが、漫画でも描かれることがあり、その代表的なもののひとつが「GS美神 極楽大作戦!!」です。

 

 GS美神は、悪霊や妖怪が世間一般で認知されており、それを駆除するためのゴーストスイーパー(GS)という職業があるような世界の物語です。主人公は、そんなGSの美神令子、そしてその助手の横島忠夫なのですが、選択と集中の話は、この横島がGSの認定試験を受ける際に登場します。

 ひょんなことから潜入捜査一貫としてGSの試験に参加することになった横島ですが、霊能力的には全くの素人であり、戦う力がありません。そこで依頼者の小竜姫の力を受けた意志を持ったバンダナの力により、潜在的な能力を引き出してもらうことになります。素人のはずの横島は、異常な煩悩による集中力により、霊能力を引き出されますが、それはそれでも試験に参加する高度な能力を持った人々の前では足りないものです。

 そこで、バンダナは一計を案じ「選択と集中」の提案をしました。

 

 つまり、手のひらの大きさに全霊力を集中して作った「サイキックソーサー」による戦いです。劣った力しか持たない横島ですが、全霊力を手のひらに集中させれば、相手の攻撃を防ぐことはできます。そして隙を見てその塊を投げつけることで大ダメージを狙います。このような戦い方を選択し、集中させることで、本来は相手にならないような格上の相手との戦う力を手にすることができるのです。

 しかしながら、それ以外の所に相手の攻撃が当たれば、即死すらありえる状況となります。

 

 ああ、なんという恐ろしいことでしょう。結果的に横島は生き延びることができ、これは選択と集中に成功した例ではあります。でも、危険な話ですよ。それは、選択した部分以外に被弾すれば死ぬリスクを背負ってまですることであったのでしょうか?しかし、それをしなければ、戦うためのスタートラインにすら立てなかったという悲しい話でもあります。弱いからそうしなければならなかったわけです。弱いことは危険で、だからこそ悲しい。

 横島は、このあと段々とそんなことをしなくても戦える男に成長していくことができます。いい加減でちゃらんぽらんな性格のままで(シリアスパートもありますが)、徐々に使える男になり、ついにはなくてはならない男にすらなっていくという姿がとてもいいので、皆さんの中に読んでない人がいたら読みましょうね。

 

 さて、このような「選択と集中」の話は「HUNTER×HUNTER」でも登場します。作中に登場する念能力には「凝」という技術があり、人間が持っているオーラを、例えば目に集中させれば、普段は見ることができないようなものを見ることができたりします。このように、全身を一定で流れるようなオーラを一部に集中させる技術は、念による戦いにおいて必須の技術です。これを推し進め、例えば拳などの一部に完全に集中させ、攻撃に使う技が「硬」です。これは横島のサイキックソーサーと同じ原理で、全身の力を一点に集中させることでとても大きな力を発揮することができます。

 主人公のゴンの必殺技は、この「硬」を使ったジャジャン拳で、その類まれなる才能によるオーラを一点集中させた力は、新米ハンターながら、プロハンターとしての先達を恐怖させるほどの威力を発揮します。

 

 こちらの場合も、集中させているところ以外を狙われると大ダメージがあるリスクの大きな技なんですよね。幻影旅団のフェイタンも「硬」と、それを武器にまとわせる「周」という技を使いますが、その必殺のタイミングで相手からの軽い飛び道具のカウンターで大きなダメージを受けてしまいました。普段は微弱なオーラで守られている肉体を完全に無防備にさせてしまう以上、攻撃を受けてしまうことは即致命傷の危険性があるのです。

 

 念の世界では、常にこのようなリスクをとることができませんから、全身の精孔から一気にオーラを噴出される「練」を維持し続ける「堅」という技術を使い、その中で0か100の「硬」ではなく、攻撃と防御にどれだけの割合で集中させるかを「凝」でコントロールする、攻防力の瞬間的な振り分けが大切であることが説かれます(これを「流」と言います)。

 体の動きだけでなくそれに合わせた念のオーラの動きも適切な割合でコントロールすることが、念の戦いに置いては重要ということですね。大きなリスクを常にとらないで済むためには、その適切な判断が重要です。

 

 さて、「選択と集中」ですが、このように漫画の中では、相対的に弱い力しか持たない者が、格上と戦うためにリスクをとるための手段、あるいは必勝のタイミングで全部の力を一点集中するためのものとして描かれており、どちらにしても危険性を伴うものとして描かれています。しかしながら、仕事の話における「選択と集中」については、その危険性があまり説明されずに語られがちなのではないでしょうか?

 領域を選択し、資源を集中した場所以外にもし何かが来たらどうするのか?それを考えた「流」を行うことの重要性があり、そうでなく「硬」やってしまえば一点の突破力はあるかもしれませんが、一撃死の危険性があります。「サイキックソーサー」や「硬」をやらざるを得ないぐらいに追い詰められており、他に資源を振り分ける体力すらないという悲しい状況もあり得るでしょうが、本当にそこまで追い詰められているのか?ということは考えてみるといいかもしれませんね。

 

 そして、漫画に描かれていることを根拠にして、リアルな仕事のことを語ることは完璧に間違っていると言ってよく、これは僕という狂人の主張です。