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インターネットでの漫画の広まり方、あるいは「将太の寿司」はなぜネットで流行ったか?関連

 「将太の寿司」がネットで無料読み放題になったことから、今まで読んでなかった人が読んで、話題にされている状況について、僕はとてもにっこりしています。なぜなら僕は「将太の寿司」がすごく好きだからです。ただの一読者でしかありませんが、将太の寿司を読む人たちの感想などをわざわざ検索して読みながら、そうだろうそうだろうと、「うむ」と頷いたりしています(なおスキマでの読み放題は今日で終わります)。

 

 それは良かった話なんですけど、今回は、なんでこんなに流行ったのかな?という疑問はあって、例えば、「喰いタン」や「ミスター味っ子」も同時に無料公開されているのに、いや、そちらもそちらで話題になっているとはいえ、「将太の寿司」ほどではないように見えるからです。その違いは何でしょうか?

 

 ここからは僕の考えを書いていきます。

 

 インターネットで話題になりやすいのは、「ツッコミどころ」ではないかということを前々から思っています。それはデータとして残しているわけではないので、僕の印象でしかありませんが、「将太の寿司」が話題になり始めた頃は、そこだけ切り出せば(まあ、切り出さなくてもありますが…)異常に見える描写のキャプチャ画像とともに、こんなにおかしな描写があるというような方面で話題になっていました。

 例えば、笹寿司による嫌がらせの過熱具合や、柏手の安による柏手を打つか打たないかにしか興味が移らなくなっていくところ、審査員たちの顔芸によるリアクション、あとは大年寺三郎太という偉人の行動のようなあたりです。

 

 ツッコミどころを指摘して面白がるということは、つまり「読者側が話題の主役」ということではないかと思います。これは同語反復的なものなのかもしれませんが、インターネットでは、参加する皆が主役のものが盛り上がるような印象があります。何かの作品が話題になるとして、主役は「その作品そのものではなく、それを読んでいる読者であること」が重要なのかもしれません。

 

 自分が主役である話題においては、人は雄弁になるように思います。将太の寿司の中から自分が見つけたツッコミどころを披露するということは、それぞれが自分の話として広げていくために、感染性が強いように思うからです。他の人がやっているのを見て、自分もやってみようとすることが続けば、ひとつの作品そのものや、ひとりの人間の感想などと比較して、より強く繰り返し伝えられ続けるサイクルが生まれると思います。

 

 漫画以外でも基本的にそうだと思います。例えば、Webの記事で強く話題性を獲得するものは、有用で役に立つ情報ではなく、多くの人が自分にも何かツッコミができると感じるものが多いように思います。

 だから、書かれている内容に隙があるようなものや、誰にでも分かりやすい間違いが見つかるものが目立ちやすいですし、例えば、タイトルや本文におもしろい誤字があれば、内容よりも誤字に対するコメントが多くなってしまうこともあります。これは、とにかく何かに一言を言うことが重要視されているからではないかと僕は思っています。

 

 でも、世の中にはツッコミどころがある漫画自体は結構あって、ただ、その全てが流行るわけではありません。仮に一瞬流行ったとしても、すぐに終息してしまうものもあります。でも、将太の寿司は2ヶ月以上流行ってるんですよね。その差は何なのでしょうか?

 

 僕は、将太の寿司に登場する大和寿司の親方という人が好きで、Twitterを検索すると2011年から2018年の9月までは、大和寿司の親方に言及するツイートの大半は僕の発言なのですが、ここしばらくは一日に何人もの人が大和寿司の親方の話をしていることが確認できます。そんなことってある??って話ですよ。

 

 やったー、嬉しいー、みんなもっと大和寿司の親方の話をしてくれー!!!

 

 こんなことになるわけですよ。盛り上がっているわけですよ。なぜでしょうか??

 僕が思うに、ツッコミは面白いかもしれないですけど、瞬間の話だと思うんですよね。伝えるのも瞬間ですし、伝わったものを理解するのも瞬間です。それは喩えれば花火のようなもので、一瞬で飛び散って消えてしまうような儚いものでもあります。

 だから、きっと話題として持続し続けるためには、瞬間では伝わらないものがその背後に控えていなければならないのではないでしょうか?そして、将太の寿司は瞬間瞬間を見れば狂っているような描写もあるんですけど、真っ当に王道として面白い部分があるんですよ。僕はそこがすごく好きなんですよ。

 登場人物たち同士の関係性や、それぞれが抱える想いや、寿司勝負そのものの面白さだってあるわけです。瞬間的に広がったツッコミどころから、その辺に気づき始めた人たちが増えたのが大きかったのではないかと僕は思っています。

 

 僕は、最初にツッコミどころを笑うみたいなのが始まったとき、「それは別に確かにそうかもしれないけれど、それだけじゃないんだ!!それだけじゃないんだよ!!」ってちょっとおかんむりだったようなところもあって、でも、それを言っても仕方ないじゃないですか。何がきっかけでもいいから、より多くの人がその人たちなりに面白く読んだりすればいいわけですよ。

 他人の漫画の読み方に干渉して、自分好みに矯正するなんてのは傲慢な考えじゃないですか。だから黙っていたんですけど、でも、色んな人の感想を読んでいると、だんだん潮目が変わってきたんですよね。

 

 それは、だんだんと最後まで読み切った人たちが沢山出てきたからです。

 笹寿司の笹木は、まあ、嫌なやつなんですけど、最後の最後ですごい良い役回りをするんですよ。佐治と将太の最後の戦いの中で、武者修行の旅でとんでもないすごさを身に着けた佐治に、これは将太は不利かな?って雰囲気が出てきたところで、笹木はぽつりとつぶやくわけです。「あいつは諦めねえよ」と。

 それは、数々の嫌がらせを将太にし続けてきた男の口から出てきた言葉じゃないですか。対決の現場にも行かず、テレビ中継の向こうで、誰に聞かせるわけでもなくポツリと出てきた言葉がそれでしょう。笹木は一番それを知っているわけです。なぜなら、自分がどれだけどれだけ手間暇と金をかけても、何度も何度も潰そうとしても、決して潰れることなくそのたび強くなって負けなかった男が将太だからです。そう、将太は諦めない。それをこの世で一番知っているのが笹木なわけですよ。

 笹木は別にいいやつじゃないですよ。卑怯で卑小で、それゆえの虚勢にまみれた、悲しく愚かな男ですよ。でも、その場その時において、世界で一番将太のしぶとさを知っているのが笹木じゃないですか。その笹木から、その言葉が出るわけですよ。

 

 この物語は、そんな笹木が将太の寿司を食べるところで終わります。数々の人を救ってきた将太の寿司を、笹木は一度も食べたことがなかったわけです。だからこそ、笹木は将太を理解せずに済んだんです。寿司を食べなかったからこそ、笹木は将太に敵対し続けることができました。その寿司を食べたら、もうこの戦いは終わりですよ。でもまあ、これはそういうお話じゃないですか。

 

 この最後の笹木を読み終わったあとになれば、これまでの笹木への見方は大きく変わります。物語は多くの場合、悪役が駆動するものです。なぜなら、悪役がいなければ、何も起こらないから。何も起こらなければドラマは生まれないからです。笹寿司がいなければ、マグロ尽くしは生まれなかったかもしれません。紺屋碧悟が冷蔵庫のコンセントを抜いたりしなければ、腐敗しにくい黄金サバの特性は、知られないまま終わったかもしれないじゃないですか。

 だから、この物語は将太のお話であって、そして、悪役たちの、中でも特に笹木のお話でもあるわけですよ。

 

 そういうところで感情が高まってみれば、「笹寿司がクズ過ぎるwww」みたいなのを見ても、「でも、それだけじゃないんだよ!!」って言いたくなるじゃないですか。僕が最初そうであったように、今回将太の寿司を初めて読んだ人たちが、同様に「それだけじゃないんだよ!!」ってなっていく様子を見ていて、僕は本当に「うむ…」ってにっこりしていたわけなんですよね。

 

 このように、ツッコミという瞬間的なパルスでしかなかった話題としての接続性が、最後まで読んだ人たちの理解のプロセスによって、持続可能な話題に変化していったということがあるのではないかと思います。また、この過程で、色んなネットの有名人や、VTuberなんかも巻き込んでいったのも強かったみたいです。

 

 でもって、結局のところ、最終的には量の勝利みたいなところがあると思うんですよ。

 

 ネットワーク外部性という話をご存知でしょうか?これはサービスの持つ便益性が加入者数に依存するという話で、例えば通信ネットワークの便益が加入者数の二乗に比例するなんて話は「メトカーフの法則」と呼ばれています。

 相互接続のある電話網にたったひとりで加入していも、誰とも電話できないわけですから、便益はゼロです。でも、数が増えれば増えるほど、電話できる相手が増えていくわけですから、その便益は上がっていくわけですよね?ネットのサービスなどでも、加入者数が増えれば増えるほど、自分がコミュニケーションをとりたい相手も同じサービスに加入している確率も上がり、より便利になっていきます。

 これは類似するネットサービスの中では、加入者数が一番多いものがより強くなっていくことを意味しており、一強と沢山の敗者を生み出すような構造の説明として登場します。

 

 そしてこれは人と人との話題に関しても適用できる話です。例えばSNSのタイムラインに将太の寿司の話をする人が増えていけば、ネットワーク外部性の正の効果により、将太の寿司の話をすることの便益が上昇していきます。

 僕がたったひとりで将太の寿司の話をしても意味はなかったのに、たくさんの人たちが同時に言及すればそうなるわけです。その壁を越えるぐらいにまで話題が広がったことが、このブームを下支えしているように思っていて、だから、これは結構たまたまの要素が強い気がするんですよ。

 

 同じぐらいのポテンシャルを秘めていても、便益が十分になるほどに話題にする人が増えなければ、効果を得ることができません。タイミングがずれただけでもダメなわけです。

 なので、今回の将太の寿司は、ツッコミどころが多くある漫画で広がりやすかったとか、とはいえ真っ当に面白い要素が詰まっていて持続的な話題になる漫画であったとか、読み終わるまでの時間をそこそことれるぐらいに冊数が十分多いだとか、様々な要因が考えられるものの、同じ要素を満たした別の漫画があっても、タイミング次第では同じようには流行らないかもしれません。

 その盛り上がり方がたまたまダムが決壊するように壁を越えられて、それによってネットワーク外部性の正の効果が高まった状態になれるかどうかで、持続的に話題にし続けられ、それによってさらにより多くの人を呼び込む状態になれるかという話です。それを全て主導するのは結構難しい話なんじゃないでしょうか。

 

 僕はとりあえず、逐次手持ちの話題を投入して、もっと持続的に盛り上がってくれよな!!みたいなよく分からないところに足場を置いてほんのり煽っていたんですけど、でもまあとにかくここ2ヶ月ぐらいは思う存分、将太の寿司の話をしても褒められることはあっても怒られなかったですし、沢山の人が将太の寿司について色んなことを言っていたのを検索して沢山読めたので、すごくよかったです。

 好きな漫画、昔のも今のも、とにかくめちゃくちゃ流行ってほしい。流行ってほしい!!と僕はすごく思っているわけなんですよ…。なので、すごく楽しかったし、こういう楽しいやつが、もっと色んなところで起こりまくってほしいなと思っています。

 

 あと、これは関連の文です。

mgkkk.hatenablog.com