漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

男性作者の漫画と女性作者の漫画の違い(乱暴な話です)

 すごいざっくりとした印象論なので例外は無数にあるとも思うんですが、男性が描く漫画と女性が描く漫画の方向性には違う傾向が見て取れるように感じています。

 それは、僕が買っている漫画を見返してみると、近年女性作者のものの比率の方が大きくなっているようであることから思い至ったことです(男女でなんとなく3対7ぐらいの比率です)。僕は作者が男性か女性かで買う漫画を選んでいるわけではないので、それはつまり、たまたま僕が好むタイプの漫画の作者が女性であることが多いということでしょう。具体的に数として見えているので、そこには何らかの作者の性差によるざっくりとした方向性の違いがあるのではないかと思いました。

 

 ただし、肉体の性別は基本的に男女で分かれるものですが、それぞれの人の精神の傾向はきっぱりと2つに分かれるものではないとも思っています。自分自身の中にも、男性的な部分と女性的な部分が混在しているようにも感じますし、だからこそ、ここでいう「女性的な漫画」を男性である僕が好むことが多いということもあるでしょう。また、このへんは非常にセンシティブな話題なので、あまり性差による解釈で語るべきではないのかもしれません。僕も今おそるおそる書いているところがあります(実際は雑誌の編集方針の差の影響が強く、そこにはステレオタイプな男女観が反映されている可能性も多分にあるわけじゃないですか)。

 

 さて、僕が感じている方向性の違いとは、漫画の中で何らかの課題に突き当たったときに「その課題を何らかの方法で打ち倒して解決する」のが男性作者が描きがちな物語で、「その課題自体については根本的な解決には至らなくとも、折り合いをつけることができるようになる」というのが女性作者が描きがちな物語ではないかというものです。

 もう少し具体的に書いてみるなら、この世を混乱に陥れる魔王を倒せば世界が平和になるので勇者となって倒そうというのが前者で、人間の王の圧政の中でも村人が前向きに生きていく方法を手に入れるというのが後者です。僕が後者を好んでいるのは、おそらく自分が生活の中で接する問題が後者的なものの方が多いからです。漫画の中にに自分が理解できる感情が描かれていれば、そこから読み取れるものも多くあるわけじゃないですか。つまり、なんのことはない、共感しやすいという話です。

 

 魔王を倒すような物語はそれはそれとして子供の頃からずっと好きなんですけど、困難さ自体が根本的には解決されない世の中を、それでも上手く生きていく方法を見つける話みたいなのも、近年めきめき好きになってきています。それが買う本の量に反映されてるっぽいんですよね。

 

 僕個人の人生の話をすると、悪者を倒して何かが良くなるというような世界観は、自分自身の人生の中からあまりなくなってきているのが今の状態です。それは、そこに生じている何らかの困難さを、誰か一個人の責任だと解釈して排除してみても、結局その困難さが解決しないというような経験を積み重ねてきているからです。つまり、特定個人を、問題の象徴として取り扱えば理解は分かりやすくなるものの、そもそもの機序の理解としては全然間違っている場合も多々あるということです。あるいは、排除するということ自体が自分の力の及ばない領域であることもありますね。その場合も無力です。

 だからこそ、物語の中でぐらい悪い奴を倒したらあらゆる問題が解決するようなものを求めたいなんて気持ちもありますが、それ以外に目を向けるようになったからこそ分かるようになったものを求める方にも気持ちが広がっていて、今は後者が強い感じがしています。

 

 さて、僕が感じているところの「女性的な漫画」の代表的なものは、安田弘之の「ちひろさん」なんですけど、まず男性作者なので、肉体の性別とは何なのか?という気持ちになります。やっぱり、肉体も精神もそれぞれ「男」と「女」で一律に分けるのはおかしい感じがしてきますね。いや、そもそも男と女とはいったい何なのか。それは肉体の性差そのものが根本的な原因ではなく、なんらかの偏見とその再生産の結果でしかないのではないか?などと考えれば考えるほど悩んでしまいます。

 ここは結論が出ないので話を戻して「ちひろさん」がよいのは、自分と周囲の接点において出てきてしまうガタツキを滑らかにしてくれるようなお話が多いことだと思っていて、人が何に接してどう感じるかを、絶対的な正しさではなく、あくまで一例として示してくれるようなところだと思います。大道を歩くのが不得手な人に対して、歩ける脇道の情報を教えてくれるような良さがあります。

 あと、漫画を読んでいると、人との関係性は使い捨てじゃないなと思うようなところがあって、作中に登場する人たちが一回出てきて終わりということはなく、出てくるたびに何かしらあって、そのたびにその関係性が何かしら変化するというようなところもすごく好きです。人と人との間にあるものは、一回の何かで決着がついて終わりではないということが描かれているからだと思います。「ああ、そうだな」と思います。一方、一度しか会わなかった人や、永遠の別れが起こることも作中にあるんですよ。それもあることですよ。色んな関係性があって、そのどれもに価値があるように思えるということは、生きることそのものじゃないかと思うわけです。

 

 あと、池辺葵の漫画もめちゃくちゃ好きです。池辺葵の漫画では、人生の中に確かにあるのにあまりそれを注視するきっかけがないものを、漫画の中でさりげなく目の前に出してくれ、それを見るたびに「ああ、そうだな」と思います。この漫画の作者は、この気持ちを認識している人なんだな、と思うことだけで、なんか救われた気持ちになるわけじゃないですか。そこにある「分かるもの」が自分の中にしかない孤立した感情ではないと思えるからです。そして、漫画の中にはまだ僕が認識していない感情も描かれているんだろうなと思っていて、それはいつか分かるかもしれないし、別の誰かに今既に刺さっているのかもしれないなとも思います。

 悲しいことが悲しいままに描かれたりされていますけど、それが悲しいという視点があることそのものが救いになったりします。それは嬉しいことでもそうで、そうだよな、それが嬉しいんだよなと思うわけですよ。そうすると、漫画で読んだことで、明確になった自分の感情にも目が行き届き、自分の人生にもその嬉しさを増やして、悲しさを減らしたり、減らせなくても寄り添ったりもできるわけじゃないですか。

 

 そういうのがよくて漫画読んでるところもあるわけですよ。

 

 最近自分が好む漫画について思えば、最近の自分が分かるような気がします。ただ、今この状態が未来永劫続くわけでなく、経験や人生の段階で好むものはまたどんどん変わってくるんでしょうけれど、今はこういうのが好きだなと思うので、それを記録として書いておきます。