漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「俺たちのフィールド」における現実とフィクションの交錯関連

 僕は現実のスポーツについては全然詳しくなく、詳しくないために熱狂的に観戦することもできないのですが、一方、漫画の中のスポーツは大好きで、その試合結果に一喜一憂したりします。不思議な話ですよね。逆じゃないのか?って気もします。だって、漫画の中の試合は作者の考えた通りに書かれるもので、現実のスポーツこそ先が見えずに手に汗握る興奮がありそうなものだからです。

 悪い言い方をすれば、漫画の中のスポーツの試合はある種の八百長の試合とも言えるかもしれません。シナリオが誰かによって決められるからです。でも、そんなフィクションの中の試合に、読者としての僕は本当に心から一喜一憂していたりするんですよ。本当に不思議なことです。

 

 今ちょうどワールドカップをやっていて、僕も日本の試合は見ていたりします。ただ、各選手についてもよく知りませんし、日本のサッカーを取り巻く色んな状況もあるんでしょうが、それもよく分かっていません。なので、よく知らない自国の選手と、よく知らない他国の選手が試合をしているのを見ているというだけという感じです。でも、点が入ったり点を取られたり、追いついたり追いつかれたり、逆転したり逆転されたり、1点だけ勝っているのがひっくり返されやしないかハラハラしてゴール前を見守ったり、なんかそういうことをしているだけでも、意外と面白く見れているなと思いました。そしてサッカーが好きな人たちにとってはもっと解像度の高い風景が広がっていて、きっともっと面白く感じるんだろうなと想像します。

 

 さて、僕が好きなサッカー漫画といえば結構色々あるんですけど、その中のひとつが村枝賢一の「俺たちのフィールド」です。

 この漫画は今読んでも面白いとは思うんですけど、連載されていた時期の時代性との関わり方がよかったという部分もすごくあると思っていて、それは時代時代の現実とのリンクから面白さがさらに増した体験であったように思います。

 本作の連載開始は1992年、これはJリーグの開幕前夜です。そしてこの物語は、主人公の高杉和也の成長や立場の変化とともに、日本のサッカーを取り巻く状況の変遷もあったという体験だと思うのです。Jリーグの開幕から盛り上がり、ドーハの悲劇、それを踏まえた上での1997年のフランスワールドカップへの日本初出場、それらの状況とともにこの漫画はありました。そしてエンディングはその当時は未来の話であった日韓ワールドカップが、その先の広がりと希望として描かれるのです。

 

 この物語のひとつの見方は、「現実とフィクションが交錯する物語」だと思います。最も印象的なもののひとつは、現実のフランスワールドカップの予選リーグで、日本がアルゼンチンと同じ組になったということでしょう。なぜならば、この物語においてアルゼンチンは特別な意味をもつ国であるからです。和也は高校サッカー生活の終了後、アルゼンチンへサッカー留学し、そこでは現地のサッカースターであるダミアン・ロペスとの運命的な邂逅がありました。つまり、その全ての因縁の決着となるべき舞台がワールドカップに用意されたことになるのです。それは作者の手ではなく、現実のワールドカップの組み合わせが生んだ奇跡です。

 それに当時の僕はめちゃくちゃ興奮したわけなんですよ。現実と同じように、漫画の中でもアルゼンチンとの試合が生まれたことに。そして、現実とは異なり、漫画の中にはアルゼンチンとの強い因縁があります。そしてその結果、日本の予選リーグでの敗退は現実と変わらないものの、その内訳は現実とは少し異なる結果となりました。

 

 僕はダミアンと和也の関係性がすごく好きで、中でも好きなシーンは、Jリーグで頭角を現し始めた和也のもとに、ダミアンがやってくるところです。極東の島国で活躍していい気になっていた男に、圧倒的な世界のレベルを見せつけに現れるシーンがめちゃくちゃカッコいいんですよ。これはスポーツ漫画というよりは、格闘漫画にあるような演出です。日本で実力者として認めらた若手の選手たちが、ダミアンには全く歯が立たない。ダミアンの長い髪が緩やかに揺れる様子が、まるで彼だけ別の時間軸にいるようにその違いを見せつけます。

 そして、その時点ではあったそれだけの力の差を、その先埋めるという成長の物語なんですよ。和也だけでなく、まだ世界に及ばない日本のサッカーがということです。この物語が描かれていたのはドーハの悲劇の後、フランスワールドカップの前、まだ日本はワールドカップに出場したことがありません。それは同じ内容が今描かれるのは違うニュアンスがあるわけでしょう?

 

 漫画の中でも日本サッカーの監督が、悔し涙を流しながら言うわけですよ。フランスのワールドカップに出場できなければ、日本はどうなるか?と。次の日韓ワールドカップで開催国特権で初出場ということになるのだと。それは実力ではなく、金の力で初出場となった歴史に刻まれるのだと。だからこそ、我々は何としてでも勝たなければならないのだと。

 当時の僕も、実際のワールドカップにはそんなに大きな興味もなかったような気がしますが、これは漫画の話であり、連載の時点では、現実の話でもあったわけですよ。僕が漫画に抱いた感情が、現実にもフィードバックされるわけです。現実とフィクションの狭間で、それらを混同してしまうような体験がそこにありました。

 

 また、俺フィーにおける現実とフィクションの交錯という点では、種類の異なるキャラクター同士の対比も重要なところでしょう。小学生編や高校生編には様々な個性的なキャラクターが登場しました。しかし、Jリーグ編になってからは、そこに実在のサッカー選手をモデルにしたキャラクターも混ざるのです。現実離れしたようなキャラクターたちと実在のモデルが同時に存在するその空間にはキャラクターの対比が生まれます。それは、リザーブドックズの話でより強調されて描かれます。

 リザーブドッグズとは、ワールドカップに是が非でも出場すると誓った人々が生み出した作戦で、これまで物語に登場した数々の個性的な若手のサッカー選手を海外に長期遠征させて鍛えた集団です。もちろんその中には和也もいます。そして、鍛え上げられた彼らは、実在のモデルも多々いる旧代表とぶつけられ、競わされるのです。伸びしろの大きい若手をビシバシ鍛えた結果の集団と、現実的な選手を元にした集団がミックスされ、競合と協調によって混沌とした力の湧き出るチームが生まれます。

 

 これは結構、色々な漫画で問題となるところだと思っていて、漫画では主人公は高校生だったりするのに、超人的な能力を発揮したりするわけじゃないですか。それがいざプロと戦ったときに、プロはどの立場にいるのか?という疑問があるわけです。

 例えばリングにかけろにあったように、プロはそれ以上のすごい力を見せつけてくれるかもしれません。リベロの武田にあったように、高校生たちのあまりの現実離れっぷりにプロが困惑したりするかもしれません。魁男塾にあったように、ヤクザは現実的なレベルのままで主人公が弱くなってやしないか?と疑問を抱いたりするかもしれません。超人性を描きやすい漫画という媒体が、現実的なものと接点を持つとき、その疑問の答えるための何かしらが必要とされるのではないでしょうか?

 

 この超人的で現実離れしたサッカーと現実的なサッカーの切り替わりの潮目というものがあります。それは俺フィーでは末次という男が示すものです。この末次、和也が少年期にサッカーを一時辞めるきっかけになった男で、なぜなら、彼を助けるために和也の父が交通事故で亡くなってしまったんですよね。日本のサッカーがまだプロ化される前に、誰よりもサッカーを愛した男、高杉貫一は交通事故であっけなく亡くなりました(サンデー漫画に何故かよくある父の死)。

 彼の背を追いかけていた和也は、そのショックでサッカーの足を止め、命を救われた末次は、その背を追うためにサッカーを始めることになります。そして、高校生になった和也と末次の出会いがあるわけですよ。和也はサッカーを再び始め、ストライカーとして、キーパーの末次と戦います。

 

 さて、高校生の頃の末次はとてもすごいキーパーで、とてもじゃないけれど止められなさそうなコースへのシュートを、アクロバティックな動きでなんなく止めてしまいます。これは漫画的です。どんなコースも止められるようなキーパーというものは現実的にはあり得ません。なぜなら、そんなキーパーがいれば、絶対に試合に負けないからです。しかしながら、和也に敗れ、姿を消していた末次はリザーブドッグズの一員として再登場します。そのときの末次は、違うんですよ。「取れないコースは取れない」とこともなげに言ってのけます。これを読んだとき、僕はこの漫画の中の世界の常識が切り替わったのだと感じました。

 これまでは漫画的で現実離れしていてもオッケーだった常識の線引きを、より現実的な場所に引き直したのだと思ったのです。それは物語が、ワールドカップという現実でも動いている流れに沿うように舵を切ったことと無関係ではないでしょう。

 

 スラムダンクだって、最後は「左手はそえるだけ」です。決して「フンフンディフェンス」じゃないんですよ。連載中にそのような世界に変わったのだと思います。

 

 僕は現実のサッカーをあんまりよく知らなかったわけですが、例えば俺フィーなどの漫画によって間接的にその空気に触れていましたし、その流れで試合のテレビ中継なんかも観ていたと思います。観る目的としては邪道なのかもしれませんし、「お前は全然サッカー分かってないだろ」と言われたら「そうですね」って話なんですが、でもそういう接点があったということ自体は僕にとって有益だったと思うところがあるわけです。漫画は作り事なので、現実と接点が全くなくたっていいですが、あってもいいじゃないですか。

 少なくとも僕が色んなスポーツの基本的なルールを把握しているのは、そのスポーツを取り上げた漫画を読んでいたからで、それは結構いいことだったなと思うわけです。
今やってるワールドカップだって結構楽しく思いながら観ているわけですし、できることならもっと楽しく観たいなって気持ちもあるんですよねー。

 今日またポーランド戦があるじゃないですか。観たい気持ちはあるんですけど、明日健康診断に行く予定を入れてしまったので、夜更かしよくないかもだし、リアルタイムで観るかどうするか…。