漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

漫画を読むパワーの全盛期について

 高校生ぐらいのときにBSマンガ夜話を見ていて、僕が思ったのは「ここで喋っている人たち、大して漫画読んでないなー」という気持ちでした。これは大きく間違っていて、多少合っていると思うんですけど、何が間違っているかというと、僕はまだ知識も少なく視野の狭い子供であったため、自分が知っていることを知らない人を、不遜にも「物を知らない」と評価し、同時に、その人が自分が知らないことを知っているという当たり前のことにも考えが至らなかったのです。

 BSマンガ夜話に出ていた人たちはきっと当時の僕が読んでいなかった漫画を沢山読んでいたことでしょう。そして一方、当時90年代後半頃に雑誌連載されていた漫画については、絶対に僕の方が沢山読んでいたと思っています。なぜなら、当時の僕は学生の暇に任せて、本屋にあって目に入った少年・青年漫画雑誌を軒並み毎号読んでいたからです。

 

 現在では、僕自身も漫画を網羅的に読めなくなっています。これは老でしょう。漫画雑誌自体はずっと読んでいるんですけど、漫画というものの進出するエリアがネットを使って広がっており、Web連載やスマホアプリで連載しているもの、Webで個人が描いていたものの書籍化などについてはまるで網羅的には読めていません。おかげで、書店の新刊コーナーを見ても、初めて見る漫画が沢山あるようになりました。中高生の頃はそうではなかったんですよ。少年誌青年誌の新刊コーナーになる単行本はほぼすべて雑誌で読んだことのあるもので、そうでないものがあると逆にどこで連載されているんだろう?と驚いて手に取ったものでした。

 

 さて、漫画を読むことについての人の全盛期についてですが、不完全ではあるものの簡単に調べる方法があります。それはジャンプで連載されていた1巻~3巻程度で打ち切られて終わってしまった漫画の内容を説明できる時期がいつかということです。それが漫画を読むことの全盛期である可能性が高い。それ以後は老です。これはつまり、読む漫画を最初から絞っているか絞っていないかということで、絞ってしまうということは、何らかの理由で読む数を減らそうとしているということだと思うからです。

 そこにあるものをあるだけ読みたいと思って、それを自然にそうしてしまっていた時期が「読む」ということについては最もパワーのある全盛期でしょう。単行本派になるにはその発売までの空白の時間に耐えられず、一秒でも早く続きを読みたくて雑誌を読むしかない時期です。漫画のみでは飽き足らず、作者コメントや読者投稿まで隅々読んでいた時期です。僕にとっては90年代から2000年代初頭あたりがそれにあたり、それ以後は老になってしまったので、雑誌を読んでも、ちゃんと読む連載と読まない連載が分かれてしまいました。タイミングとしては就職と重なりますが、しかしその裏には老による衰えがあるでしょう。忙しかろうが、それでも読みたいという気持ちがないからそうなるわけです。

 

 こういう話をすると、いやいや、目が肥えてきたので、読むべき連載と読む必要のない連載を分けるようになったのだという説明をされたりしますが、それは現状追認にもっともらしい理屈を選んでいるに過ぎないんじゃないかと僕は思います。漫画は大体ちゃんと読めば面白いんですよ。面白くないのはちゃんと読んでないからです。ちゃんと読んでないのは、ちゃんと読めないからです。ちゃんと読めないのは、読むための気力のようなものがないからでしょう。それは老であり衰です。「漫画を読む」という行為の全盛期を過ぎてしまったということです。

 あればあるだけ読むような時期を過ぎてしまったことに対して、今の漫画は昔の漫画より面白くないとか、適当なことをうそぶくようになるのが老のサインです。でも、それは悪いことじゃないですよ。人生の中で限られた全盛期はそれに気づくか気づかないかは別にして誰にでもあり、それを過ぎれば、もうそうではいられません。きっとそういうものです。そして、人間は適当に理屈をつけて自分を正当化するものじゃないですか。それは仕方ありません。

 聞いている側がそういうもの(老のたわごと)だと思って無視すればいいだけの話です。

 

 今の僕だって完全に老です。昔は買えばその日のうちに3回は読んでいた単行本を、今では1回読んで、その後しばらく読み返さないということだってざらです。読む力が衰えているからです。

 集中力も完全に衰えましたから、昔なら、我を忘れて本をめくって読むことだけに集中し、気が付けば5,6時間ぐらい経っていることがざらだったのに、今ではそういうことが最後にできた記憶すらもう遠くなってしまいました。今では一冊読むとスマホを見たりします。

 自我を失って漫画だけを何時間も読んでいられるとどうなるかわかりますか?自分が自分であることに現実感がなくなってしまうんです。そうだったそうだった自分は自分だったと受験を控えた高校生だったなどと確認しながら、ブックオフからの帰り道で自転車のペダルを漕いだりします。あの頃の充実感を今の肉体で再現することはもう難しいように思います。

 

 老は誰にでも訪れるものでしょう。あらゆる分野に対して時期はズレてもどこかで起こるはずです。それは仕方ないですし、全盛期が特別だっただけで、それ以外の特別でない時間の方が基本でしょう。なので、老によって対象との付き合い方が変化してしまうのも構わないと思っています。

 今は今で、今こそが全盛期の若者がいるのだろうなと思いますし、そういう子が僕なんかよりもずっと今の漫画には詳しいのだろうと思います。それはいいことだなと思いますし、僕は僕で自分が全盛期だった頃の記憶を古老のように急に語り出したりしていこうと思ったりもします。

 なんせ、そのときの自分はきっと世界でもトップクラスにその時期の漫画について一生懸命読んでいたと思うからです。