漫画皇国

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人間は30年先を考えて生きられるものなのか?

 以前、マンション投資の電話が頻繁にかかってきていた時期があり、電話を繋いだままで適当に話を聞いてみると、大体こういうことだそうです。

  • 僕が銀行から借金をしてワンルームマンションの部屋を買う
  • その部屋に入居する人の家賃をローン返済に割り当てる
  • 30年後にはローンが完済されるので、その部屋が実質無料で自分のものになる

 

 マンション投資の斡旋会社がやってくれるのは、その部屋に入居者が入ることを保証してくれることだそうです。入居者が入ることが確約されているのだから、30年後に無料でワンルームマンションが手に入ってお得でしょう?とのことです。場合によってはそうかもしれません。

 僕の場合は、築30年のマンションが30年後に手に入ることに全く魅力を感じないため、お話ありがとうございます、ではさようなら、と断りました。あと、入居者が常に入るということも信用できません。だって30年ですよ、30年。30年前から今に至るまでにあった出来事と同じような量とバリエーションのことが、ここから30年でも起きるんじゃないかと考えると気が遠くなってしまいます。色々あったのに、まだ色々あるのかよと。個人的にそんな先に、今想像したようなことがずっと続くとは全く思えないので、30年先のことを考えるのは時間の感覚として僕には無理だなあと思います。だって、創業10年を迎えられる企業だって1割以下じゃないですか。

 

 人によってはこの投資をありだと思うかもしれません。でも、僕の中ではなしでした。

 

 思うんですが、豊かさとは時間感覚のことなのかもしれません。人間はなんらか得をしたいと思う人が大半だと思いますが、その中でも、どれぐらいの期間の中でトータルで得をしたいと考えられるかという差があるんじゃないかと思います。30年で得をしたいのか、1年で得をしたいのか、3日なのか、5分なのか、時間が長いほど豊かで、時間が短いほど貧しいと言えるような気もします。

 つまり、30年先に得をすることを考えて、今多少損をしてもいいと考えられるのは豊かということなのではないかということです。そして、5分後に損をすることが分かるのに、今この瞬間だけ得になることをしてしまうのは貧しいというなのではないかということです。

 

 ここで注意しないといけないのは、「30年先を想定した行動をすること」自体が豊かというわけではなく、「30年先まで見通せると思い込めるぐらい今まで安定して生きてこれたこと」が豊かということです。

 現実問題として30年先のことなんて正確に見通せるわけがありませんし、仮に見通しが当たったとしてもきっとたまたまです。その過程で無数の不確定要素があったとしても、それを乗り越えらえれると思える豊かさは、とても豊かなことだと思います。

 

 豊かであれば短期の損を許容し、長期の得をとることができます。貧しければ、短期の損に耐えられないので、短期に得をするような選択肢しかなく、それはもしかすると長期では損かもしれません。

 

 例えば、貧しい人の考え方では、他人との取引は個別に割に合うものでないといけません。なぜなら、一回の取引失敗が致命的だからです。一方、豊かな人の考え方では、ある程度の失敗を見込んで複数回の取引を行える余裕がありますから、ある部分で損をしても、全体で得をしていればいいという選択肢が生まれます。

 これは例えば、他人に親切にしやすいかどうかということと関わるかもしれません。ある人に親切にしたときに相応の感謝や返礼がなければ、人付き合いをやめてしまうのが貧しさで、いずれ得になるだろうと考えて一回一回の親切には見返りを求めなくて済むのが豊かさです。

 

 これらの違いは人間性の問題というよりは、その人が持つリソースと、その人が今までやってきた環境の問題ではないかと思っています。現状、豊かに見える人も、その人の持つリソースを奪い、環境が変われば途端に貧しい考え方になってしまうのではないでしょうか?まず与えることができるという豊かさには、一定損したとしても平気であるというリソースの潤沢さと、そして、長期の取引をしていけば、相応のリターンがあったと思える今までの成功体験がきっと必要です。

 豊かさにかまけて与えすぎてしまったせいで、貧しくなってしまった人もいるでしょう。それは、そういう環境だったという不幸です。そして、まず与えることが当たり前ということを疑わずに生きてこれた人は、そういう人たちが互いに与え合うことで効率よくやってこれたという奇跡的な環境だったはずです。

 

 世の中は基本的にどんぶり勘定で上手くいっていれば、効率がよいわけです。それは喩えるなら、材料を持ち寄る鍋会のようなもので、みんなが同じぐらいの額だけ材料を持ち寄り、同じぐらいだけ場で働くなら、最後精算をする必要がありません。でも、材料を全く持って来なかったり、一切手伝わずに食べるだけだったりする人が出てきたりします。そうなれば、やる人とやらない人の間に不公平が生まれてしまい、それが誤差と無視できないぐらいになってしまうと対策が必要になります。つまり、材料費を割り勘にする手間や、仕事の割り振りやその監督などをする手間が生まれます。公平さのために細かく管理するというめんどくささが生まれ、全体の効率は落ちてしまいます。

 豊かな人がいれば効率のよい鍋会を維持し続けられ、貧しい人だけになれば効率の悪い鍋会になります。そして、世の中はだいたい最終的に効率の悪い貧しい鍋会になりがちだと思います。だって、何かに参加する人々の間で公平さを確保するために、とても沢山の手間をかけているじゃあないですか。

 

 興が乗ったので適当に書き進めていたら話が逸れてしまったのですが、そもそも言いたかったのは、僕は30年先を見通して、今のこのままずっと同じかそれ以上ででやっていけると思い込めるほどの豊かさを持ち合わせていないということです。

 現実問題としては、1年先ぐらいまでしか考えずに生きています。なので、今の状態が続くなら、この先自分の家を買うにしても、30年ローンみたいなものはきっと組まないでしょう。可能な限り一括に近い形で買うと思います。また、その場所に一生住むということを前提にせずに買うでしょうね。

 僕は一年先には今手元にあるものが全部失われて、今とは全然別のことをしてても生きていけるようにしたいと思っていて、その考え方が自分に合っていると思っているのでそうしています。

 

 この考え方には意図的に辿り着いたんですけど、それは、ずっと先のことを考えて行動しても結局思った通りにするのは難しいと感じたことに端を発しています。

 例えば、5年先に最適な結果が出るような動きと、1年先に最適な結果が出るような動きはきっと異なるでしょう。そして、5年先を考えて判断した今の最適な動き方は、1年先の最適と比較して、きっと効率が悪いと思うんですよ。つまり、今我慢して、1年先にまだ損をしていても、5年先になればきっと得をしているはずだ!と思い込めるかという話です。なんせ、そんな先の結果は保証されていないわけです。結局、5年先の結果が思った通りの地点に着地しなければ、最終的に1年後も損をして、5年後にもさらに損をしているかもしれません。そうなると嫌だなあと思うんです。

 

 今まで生きてきた中で、僕が自分に関することをなんとか思った通りにコントロールできると感じたのが1年先ぐらいまでだという実感があったので、1年先に上手い具合になる程度の貧しさを、自分の最適なところだと定めることにしました。

 このように30年先を考えて、30年先に最適になるように生きられるほどの豊かさを僕は持ち合わせておらず、自分には1年先ぐらいまでの貧しさが最適だと思っているんですけど、おそらく子供がいる人なんかはそうは言ってられない人が多いんだろうなと思います。子供が自分の元から巣立っていくまでのおそらく20年以上、計画的に、育てるために必要なものを確保し続けなければならないからです。

 ちなみに僕も何年か前まではそういう状態で、沢山いる弟妹たちが独り立ちできるようになるまで、学費や生活費を保証してやらなければならないと思っていました。仮に、大黒柱である父が急に亡くなったとしても、彼ら彼女らたちがお金の心配をすることなく世に出られるようになってほしいという願いを持っていたんですよ。だから、僕はそのために安心できるだけのお金を稼がないといけなかったし、そのために、そこそこしんどい状況からも逃げずに、取り組んでしがみついてきたという経緯がありました。豊かでもないのに、豊かに生きようとして無理をしてきたのです。

 

 今の自分の状態はそこから解放された反動という感じで、何年も先まで、お金の心配をしなくていい状態を頑張って無理矢理作ることをしなくてよくなったら、日々生きることが異様に簡単で楽になってしまいました。それが異様に楽な気持ちなので、その状態でずっといたいと思ってしまうんですよ。

 

 前述のように今は1年先ぐらいまでのことを考えて生きているんですけど、本当はそれをもっとどんどん短くして、最終的に5分先ぐらいまでに短くできたら最高だろうなという気持ちがあります。

 ただ、普通は5分先に最適になるように行動したら、10分先には損をしたりするじゃないですか。電車賃として160円だけ持っているときに、10分先に電車が来るものの今のどが渇いているので、そのお金でジュースを買ってしまったら電車に乗れなくなってしまいます。でもじゃあ、のどが渇いたまま電車の来る10分を待たないといけないのか?という話ですよ。電車に乗ったあとものどは乾いたままじゃないですか。

 理想の生き方は、そのときに軽率にジュースを飲んでしまいつつ、10分後の電車も何故か乗れてしまうというようなことです。しかし、何もコントロールせぬままにそうなれるのは神の領域では?という気もします。でもいつかそうなりたい。そうなれば、たぶん毎日どころか、人生の全ての瞬間を楽しく生きられそうだと思うからです。

 

 30年先を見込んで行動できるような豊かさは持ち合わせられないなあという気持ちがあり、自分に合った貧しさの中で生きていければいいなという考えが今はあります。しかし、もしかすると1年先はもうないかもしれません。なぜなら、僕は1年先ぐらいまでのことしか考えていないからです。