漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

人間が狂わないようにするためのやり方関連

 人間は狂うときがあると思っていて、ここで言う「狂う」という状態は、その人が狂っていないときには絶対しない判断を、狂っている状態ではしてしまったりするということです。それは例えば、精神的なあるいは肉体的な自傷行為であったり、他人に対する同様のものであったりです。そんなよくないことを、狂っているとしてしまったりするのです。よくないですね。よくないですよ。

 人間は誰しもそのように狂ってしまうことがあると思っていて、自分だって条件が揃えば狂うのだろうと思います。だから、人間はどうにかして狂わないようにしたほうがよい。僕はそういうふうに思っているんですよ。

 

 では、人間はどういうことになると狂うのかというと、その代表的なものが「解決できない問題の前から逃げ出せない状況」ではないかと思います。解決できないのに逃げ出せないと、その解決できないストレスフルな状態から決して抜け出すことができません。そういうときに、周囲の環境が決して変わらないならば自分を変えていくしかありません。状況によって無理矢理自分を変えざるをえない状態は、よくないものであることも多いです。そういうときに人は狂った状態になってしまったりします。

 

 そういう状態の人間を、僕は「哀れだ」と思ってしまいます。こう思うのはジョージ秋山の「アシュラ」の影響ですが、それは共感的な意味合いが強いものです。人は狂ってしまうと、狂っていないときにはしないようなことをしてしまうということが哀れです。そして、それによって周囲の人間との関係性に傷をつけてしまうことで、より深く狂ってしまったりするのです。それは誰しもに可能性があることだと思います。そこにハマってしまうことを、僕は哀れと思うのです。

 

 なので、人間がゴキゲンに生きていくためには、まず狂わないことが肝要です。狂わないためには、解決不可能な問題の前に居座らないことです。しかしながら、世の中には、仮にそれが解決不可能な問題であったとしても、向き合う姿勢を見せないと怒る人がいます。そういう人は、ある人を解決できない問題の前に縛りつけるので、人を狂わせてしまう人です。そういう人に対して従順な感じでいると、自分が狂ってしまう可能性が高まっていくので、よくないことだと思います。

 

 こういうことは仕事の現場などでよく目にします。例えば金がない、時間がない、人が足りない、スキルがないなどの理由により、容易には解決不可能となっている問題は多々あります。それに対して、「なぜできないんだ?やれ!」というだけの指示と、罰を提示することによる脅迫しかしない人がおり、そういう現場にいると、その場所にいる人たちが段々狂ってくることがあります。これは、上司や経営層の問題であることがありますし、お客さんの問題であることもあります。

 僕は「お客さんである自分には現場の事情なんて知ったことではない、どんな事情があろうともやれ!」という主張をする人にかなり嫌悪感がありますが、それはこういう理由です。そういう詰められ方をすると人が狂ってしまう可能性が高いからです。僕は人間はできるだけ狂わない方がよいと思っているのです。

 

 とはいえ、一見不可能そうな課題に取り組むこともお仕事では必要です。その前から逃げ出せないのであれば、重要なのは、解決できない問題を、解決可能な種類と大きさのものに分割してしまうことです。

 大きなお仕事はひとりではできませんから、チームで対応することになります。その際には、大きな仕事を小さな仕事に切り出すというお仕事が発生します。これがマネジメントのお仕事のひとつだと思います。上手くすると、解決不可能そうな問題を見事解決してしまい、それによってお金が貰えたりします。

 ただし、その切り出し方がマズいと、各メンバーに対して、その人では解決不可能な仕事を割り当ててしまう失策が生じる場合があります。そういうときにメンバーがだんだん狂った状態になってしまい、お仕事の進捗が悪くなったりします。

 

 メンバー側からの対応で言えば、この問題は自分だけでは解決できないと申告することが重要と思います。指示者の側からの対応で言えば、各人のお仕事の状況を見て、そういう状況になっていないかを把握し、適切に再配分することが重要と思います。これができないときに、そのお仕事全体が段々狂ってきてしまうと思っています。これは、僕が今まで参加したことがある狂った現場で得た経験則です。

 この条件を仮定すると、真面目な人、あるいは与えられた仕事が自分には出来ないと言いだせない気弱な人は狂ってしまう可能性が高いです。そして、管理者が各人がどういう状況かを把握しようとしない場合もそうなります。ただ、仮にそれぞれの人の特性を把握し、どのようにお仕事をしているかを把握できるたとしても、そこに適切な解決策が打てないとダメになります。人に合わせて仕事の種類を解決可能なものになるように分割してみたり、単純に分量が多い場合には分担してみたりをするというような対応をする必要があります。

 

 この考え方によれば、十分な人数がいない現場は狂う可能性が高いです。なぜなら、仮に自分にはできないと分かったお仕事でも、他にしてくれる人がそもそもいないからです。こういう状況はとても厳しい感じになります。そんな厳しい状況でも、人が狂うことを代償に、なんとか完了したりするのが、世の中の業の深いところだったりします。

 ここでややこしいのは、場合によっては、その厳しい状況の中で人間が適切に成長し、解決不可能と思われた問題を解決可能にしてしまうということもあり、これは割とよいことと思われることです。これは無視できないことだと思っていて、お仕事を割り当てるときは期待する伸び代を加味しないと効率が下がりますし、その見立てが間違っていると狂わせてしまったりするので、良い結果に繋がったり悪い結果に繋がったりが紙一重になることもしばしばです。

 人数が少ない現場で成長したと答える人も多いのはそういうことだと思っていて、人数が少なく、他を頼れず、解決不可能そうな問題に孤独に正面から向き合わないといけない場合、人は成長して乗り越えるか、狂ってしまうかの二択を迫られるのだと思います。成長するのはよいことかもしれません。ただ、僕の経験則では狂う人の方が多いような気がしますが。

 

 僕が人に指示したりをすることが増えてきて思うのは(対人恐怖症をテクニックで抑え込んでそれをやってるの、社会の中で生きる努力をしていて偉いと自分で自分を褒めています…)、人に対する適切な種類と分量の仕事を与えることの難しさと、それがその人に解決不可能そうだと気づいたときにどのように再配分するかの、方法とタイミングを判定することの難しさです。

 僕が関わっている現場は、あまり狂わないように頑張っていますが、なんにせよどこでもそうであるように、金がなければ時間もなく人もいません。今はどうやってそこの帳尻を合わせているかというと、僕があぶれたお仕事を一手に引き受けてやっているので、なんとかなっているという感じです。おかげで、僕自身が狂わないようにしなければならないというのが目下の課題です。

 

 思うに、お金は儲けなければなりません。金が儲からないと、人を十分雇えないからです。採算性の向上は年々目標が上がる世の中ですし、売り上げが伸びなければ、コストを削減するしかありません。コストを削減するということは、基本的に関わる人を減らすということです。人が減れば、お仕事の再分配の選択肢も狭まります。再分配ができなければ、メンバーの人にその能力を超えたお仕事を割り当てざるを得ない状況が生じますし、それによって人が狂ってしまう可能性が高まると思っています。

 人をなんとか狂わせないためにはお金を儲けなければなりません。なので、僕はそれをしようとし続けている感じです。

 

 ただ、世の中は、安いものの方を喜ぶでしょう?安いものの方を喜ぶだけならまだいいですけど、高いものを売ってる方をぼったくりとか言って冒涜的に侮辱する人だっていますよ。僕が目下のところ、乗り越えないといけないと思っているのは、そういうものです。胸を張って高い額で出しても、買ってもらえるものを提供し続けなければならないということです。

 それが、僕と、僕の周りにいる人が、狂わずにゴキゲンに日々生活できるための必要な条件だからです。

 

 というようなお気持ちの文章を、どうにも量の多い仕事が終わらず、突発的なトラブルもあり、それらをやってたら終電も逃したので、仕方なくそのまま働き続けていましたが、手元のお仕事が粗方終わったので、始発を待っている今書いているわけですが、色々大変な感じですがどうにか狂わずにやっていきましょう。

(結局始発では帰らず、他の人が仕事場に出て来たらすることも出来たので、昼前までお仕事をして、帰ってきて寝て、起きて、在宅でお仕事をして、今一段落したという状況です)