漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

感情とそれを理性で制御すること関連

 少し前、身内が亡くなった。僕はその報せを受けてああそうなのかと思った。身近な人が死ぬのは初めてではないし、看取ったこともある。良くも悪くも最近ではそういうことに慣れてしまったような気がする。

 

 小学四年生のときにひい婆ちゃんが亡くなった。それは僕にとって物心ついてから初めて経験する身内の死だった。僕はとても悲しくて、その報せを聞いたあと、誰もいないところに移動してすごく泣いてしまった。その夜、お通夜に行って、なんだかとても黄色くなっていて、ぴくりとも動かなくなったひい婆ちゃんを見た。人の死とはこういうことなのかと思った。

 学校のクラスの朝の会で一分間スピーチの当番が回ってきたのが、たまたまその次の日だった(親の判断でお葬式には出ずに学校に行った)。そこで僕はひい婆ちゃんの話をしようとした。というか、そのことで頭がいっぱいだった。口に出すとまた泣きだしてしまいそうなのをこらえて、それを押し殺すように精一杯の作り笑顔で「昨日、ひい婆ちゃんが死にました…」と口を開いた。すると、当時の担任の先生の怒号が飛んだ。「人の死を笑いながら口にするとは何事だ!」。僕は強く叱責され、教室の前にひとりで立ちながら、堰を切ったように泣きだしてしまった。それがなんだかとても恥ずかしくて、また、自分の感情をこれっぽっちも分かりもしない担任にも腹が立って、色んな感情が頭の中を暴れてしまって、自分にはもうどうにもならなかった。

 今となれば、人の死についてへらへら笑いながら喋る子供に、先生が何かしら不安を抱くことは分からなくもない。

 

 当時の僕は感情がとても強く表に出る性格で、すぐに泣いたり、怒ったりしていたと思う。でも、感情を露わにすればするほどに周りの反応が引いていくのが分かるし、そんな自分がすごく嫌だったので、どんなことがあっても感情を押し込めるように努力をした。その甲斐あってか、中学生になる頃には、何があってもあまり動じないようになっていた。その頃からの僕しか知らない妹たちなんかは、いまだに僕が怒ったりして感情を露わにする光景を一度も見たことがないという。僕はそうなりたいと思っていたので、それは成功したということだ。

 

 感情をあまり表に出さない生活を続けていると、よいこともあるけど、悪いこともある。他人が僕にしてくれたことについて、僕が適切なリアクションをとらずに、全部吸い込むブラックホールのような態度をとってしまうようなことがあるからだ。それによって、相手をすごく弱らせてしまうことがある。言うなれば闇に向かってボールを投げて、それが何かにぶつかった音もなければ、返ってくる様子もないようなものだ。手ごたえが何もない。誰だってそんなことは続けられないだろう。

 誰かが何かをしてくれたときに、僕は心では嬉しいと思っているのだから、全力で喜んだりすればいいし、好きなものを見たときなんかには熱狂的に興奮してもいい。そして、嫌なことをされたと感じたなら怒ったりすればいいはずなのだけれど、自分で自分の感情につけた枷がそれを素直に表すことを許さない。

 僕に何かをしてくれる親切な人たちが、僕が喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのかよくわからず、よくわからなくなるから嫌になってしまうと伝えてきたこともある。こういう経験を思うと、多分、素直に感情表現できた方が、人と上手くやっていくにはきっといいということなのだろう。そう思って、だから頑張ってそうしようとはするけれど、もはや上手くできない。素直な満面の笑顔ではなく、口元をニヤリとしただけのぎこちない笑顔になってしまったり、仮に怒ったとしても、それを抑制する機構が強すぎて、すごく淡々とした語り口調になってしまったりする。

 僕はこういう人間に育ってしまったし、感情は、強い理性の枷の下に押し込められているのだと思っていた。それが他人にとっては決して中身を露わに見せようとしない胡散臭い人間であるように見える理由になるだろうし、一方、他人との軋轢を生まず、淡々と日々を送るために上手く機能している部分もあるのだと思う。だから、そうであること自体は別に悪くないはずだ。今の生き方は僕が望んだことで、そこに他人に対する申し訳ない気持ちがあることを除いては、大した不満もない。

 

 今さら身内が死んだということぐらいで動じたりはしないだろうと思っていた。それはとても悲しいとは感じているけれど、僕はもうそれを淡々と受け止められてしまうだろうし、葬儀の準備や相続の手続きを淡々として、それで終わりだろうと思っていた。あの日連絡を受けて、その日のうちに仕事を休むための調整をし、次の日の夕方までに手元の仕事は大体上手く一区切りつけて、飛行機で地元に帰った。事務的で淡々とした行動だった。

 

 お通夜の席には既に地元の親戚が集まっていて、僕は数ヶ月前の休みに帰ったときぶりに故人と対面した。何も動じないつもりだったし、実際、いつものように大した感情表現もなく葬儀の準備に既に動いてくれていた人たちの手伝いに加わった。

 人は誰でもそのうち死ぬ。それは誰にでも起こることだから、それ自体は決して不幸なことではないと思う。そもそも今回は遠からず死ぬかもしれないことは分かっていたから、会うたびにもうこれで最後の会話かもしれないとしばらく前から思っていた。故人との関係性で思い残したことは特にない。過ごすべき時間は過ごしたし、喋るべきことは喋った。何も問題ない。大丈夫だ。2日だけ休んで色々済ませたら、その次の日には仕事に復帰しようなどとそこまでの手順を頭の中で作ったりしていた。

 でも、ピクリとも動かなくなった故人の姿を横に、亡くなったときの様子の話を身内としていたら、自分でもびっくりするぐらいの感情が急に押し寄せてきてしまい、めちゃくちゃ泣いてしまった。そこには、理性で制御しようなんて、思うことも馬鹿馬鹿しいぐらいの強い感情があって、それは故人との間にあった数十年間の出来事がたった数秒の間に全部まとめて押し寄せてくる走馬灯のような感覚だった。

 一旦堰を切ってしまったら、もう押しとどめておくことは不可能だった。少しの刺激があれば、ボロボロ泣いてしまう感じだった。口を開けば泣いてしまうから、頑張って黙って葬式の準備に集中した。

 

 1日経ったぐらいではどうにもならなかった。徒歩2分のお寺の境内に仮設の葬儀受付を作らせてもらい、故人の遺影を抱えて、参列者を出迎えた。その間、ずっと泣いていたと思う。普段、感情回路が死んでいるような僕が、ずっとそんな調子だったので、色んな人に心配をかけてしまった。それが申し訳なかったし、恥ずかしかったので、どうにか抑え込もうとしたけれど、完全に無理だったし、どうしようもなかった。結局、葬式が終わり、火葬場に向かう霊柩車の中でもずっと泣いていた。

 人が死んだこと自体がショックだったわけではないと思う。何らかの後悔があったわけでもないと思う。そんなこととはまるで関係ない、意味も分からない、喜怒哀楽のどれに分類すればいいのかも分からない強い感情だけがあった。色んな思い出やなんやらがぐちゃぐちゃに混ざった塊だった。その奔流を前にしては、理性は障子紙で津波を止めようとするぐらいの頼りない力しかなかった。

 

 まさか自分が、遺影を抱えながら泣きじゃくる人なんかになるとは思わないわけじゃないですか。でも、なるんだなと分かった。自分の持ち合わせているような理性みたいなものでは、強い感情を押し込めることなんて、どだい無理なことなんだという実感だけが強く残った。

 

 自分にとっては感情なんて大した力のないもので、どんなことがあってももう動じないぐらいの鉄の精神があって、どんな悲しいことがあっても、変わらず動けるような情の薄さが自分だと思っていた。けれど、それはただそう思い込んでいただけで、実際はそうではないと分かった。

 そんなふうに、どうしようもないことがあることが分かったので、これからはどうしようもないこともあると思って生きていくべきだなと今では思っている。ただ、だからといって、普段はやっぱり相変わらず、感情があるんだかないんだか、ボーッとしてへらへらと笑っていて、何があっても別に怒った態度も悲しんだ態度も見せずに、喜び方も悲しみ方もなんか他人に伝わるように出すことが下手くそで、そんな感じで生きている。でも、どこかの何かは決定的に切り替わってしまったような気がしている。

 

 人間の持ち合わせる強い感情的なものを実感したあとでは、それを理性で制御しようだなんておこがましいとは思わんかね?と、大自然の雄大さを目の前にしたちっぽけな人間の姿のようなものを思い浮かべる。何もないときには理性でなんでも思ったように制御できるような気持ちでいても、強い感情に決して抗えない状況というものはこの先きっとまたあるだろう。

 そう思って、最近は生きてる。