読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「将太の寿司」の寿司はなぜ美味いか?

 寿司職人の漫画「将太の寿司」がすごく好きなのですが、読んでいると作中に登場する寿司が美味いということが分かります。ではなぜ将太の寿司に登場する寿司を美味いと思うのでしょうか?

 

1.見た目が美味い

 料理を美味しそうに描くのは難しく、しかも白黒の紙面です。難しいことに、写真を単純にトレスした料理の絵は、元になった実物の料理がいかに美味しそうだったとしても、それだけではイマイチ美味しそうに見えないことも多いです。いや、そもそも、写真を白黒にしただけで美味しそう感は減ってしまうのではないでしょうか?実物そのままだからといって美味しそうに見えるとは限らないのだとしたら、美味しそうな絵とはいったいなんなのでしょう?

 そこにはやはり描く人による寿司の美味しそうさの解釈が、線として現れているはずです。艶やかさや瑞々しさ、油の乗りなど、表現すべきことはたくさんあります。人間は目から何かを読み取って、その美味しそうさを判断しています。それを絵にする過程で、つまり人は何を手がかりにして美味しそうと思うかを判断する描き手の解釈が存在するわけです。

 そして、なにより絵であることでしかできない表現もあります。シャリが口のなかでほどけていく様子や、歯ごたえのあるものを噛み切る様子など、それは実写では撮ることが難しく、絵であるからこそできることです。

 

 料理漫画において、色が制限されていることは美味しさを表現する上で本当に難しいところだなあと思うのですが、表紙などでは色鮮やかな寿司が見られるので、そっちを見て頭の中で補完するのもいいかもしれません。また、この辺については違う漫画の話ですが、「ちひろさん」では雑誌ではカラーページも多く、そこで美味しそうな料理の絵が載ることがよくあるのですが、単行本に収録されるときには白黒になってしまい残念ということがあります。白黒でも十分美味しそうですが、でもカラーページではさらに美味しそうだったんだよなあと思ったりするからです。

 

2.理屈が美味い

 寿司で勝負すると、そこに勝ち負けがついてしまいます。しかし、美味さに勝ち負けをつけるのはなかなか難しいことです。なぜなら、人にはそれぞれ好みがあるので、あっちよりこっちが美味しいと判断されたとして、その理由が審査員の好みでしかないという雰囲気になると、納得しにくいからです(もちろん、お客さんに合わせて作り分けるということは重要ですが)。そのため、料理勝負漫画には、勝者と敗者に明確な理屈がつけられることが多いです。

 例えば、マグロステーキ勝負では、将太くんはマグロの哲と戦うことになりますが、そこに鉄板二枚重ねの工夫が出現します。冷たいマグロを焼くわけですから、鉄板に乗せた瞬間にその部分の熱は下がってしまいます。そうなると一気に焼き切れずマグロの旨味が外に出てしまうんですね。だからこそ、鉄板を二枚重ねにして(分厚い鉄板でもいいですが、準備する余裕がなかったため)より多くの熱を鉄板に蓄えることで、それを回避しようとします。一方、マグロの哲の鉄板は一枚だけ。そこではわずかながら、魚の旨味が外に出てしまっています。

 では、この勝負は将太くんの勝ちなのでしょうか?残念ながらそれは違います。なぜなら、将太くんはネタには十分工夫をしたものの、シャリが手つかずだったからです。マグロの哲はシャリにも赤酢を使った工夫を入れてきました。強烈な旨味のあるマグロのステーキに対して、それを受け止めるだけの力がシャリにもなければならなかったのです。

 寿司とは、シャリとネタから職人の握りによって生み出されるものです。ネタだけではなく、シャリだけでもありません。その合わせ技としての寿司を見たとき、ネタにしか注意がいかず、シャリを見落としてしまった将太くんは惜敗を期してしまいます。

 将太の寿司の寿司勝負には、勝者と敗者を明確に切り分けてくれる読者に納得できる理屈が存在します。

 

3.リアクションが美味い

 将太の寿司の中盤以降は寿司を食べた人のリアクションが加速します。中でも印象的なのは「柏手(かしわで)」でしょう。心底美味しいと思うものを食べてしまうと、思わず柏手を打ってしまうという審査員が登場するのです。これもとても分かりやすいですね。柏手が出る寿司と、柏手が出ない寿司という明確に分かりやすい基準が生まれました。

 「美味い寿司が登場しては柏手が打たれる」ということが続けば、そのうち価値観が逆転して「柏手が出る寿司だからこそ美味い」という話になります。これはノーベル賞と同じです。そもそもは、素晴らしい発明・発見にノーベル賞が授与されていたはずなのに、いつの間にかノーベル賞が授与されるからこそ、その発明・発見がすごいということに価値観が逆転してしまいます。それはノーベル賞が授与されないからこそ、それには大した価値がないという乱暴な認識が生まれてしまうほどに、世の中にはよくあることです。

 そして将太の寿司のニクいところは、だんだんと柏手のヤスが、その寿司に柏手を打つか打たないかに注目が移ってきた段階で、あまりの美味さに、美味いものを食べると自分の意思とは関係なく柏手を打ってしまうあの柏手のヤスが、柏手を打つのを忘れてしまうというところに到達してしまいます。あの柏手のヤスが柏手を打つことすらできないなんて、なんて美味しそうな寿司なのでしょう。

 

 さて、もちろん将太の寿司におけるリアクションは、このような記号的に分かりやすいものだけではありません(とはいえ、美味しい物を食べると眉毛が動くおじいさんや、サブイボが立つ人などもその後でてきますが)。同作者の「ミスター味っ子」の、漫画とアニメが相乗効果で作り上げた、イマジネーションの世界、食べた人の頭の中で広がる宇宙や広大な海などが描写され、美味しさのスケールを表現してくれます。美味しいということは、寿司単体では存在せず、寿司を食べる人がいてこそです。食べた人のリアクションは、寿司の美味さを表現する上で不可欠な要素でしょう。

 

4.人生が美味い

  将太の寿司の醍醐味といえば、この人生の話であることが疑いようがありません。ひとつひとつの寿司に、その寿司職人が今まで生きてきた人生が乗ってきたりします。

 例えば、僕の好きな話で言えば、奥万倉さんのイカの寿司でしょう。イカを炙ってカボスをかけたお寿司です。工夫で言えば大きくなく、包丁の巧者である奥万倉さんからすれば、地味めの飾り包丁しか入っていません。しかし、これが美味いんです。美味くなければいけないのです。なぜなら、それは奥万倉さんの人生の寿司だからです。

 早くに親を亡くした奥万倉さんには、養父母に育てられていた時期がありました。裕福ではない家庭です。自分を育ててくれる養父母に感謝をしていました。しかし、養母が一度だけ自分を間違った名前で呼んだことがあったのです。それは、その夫婦が亡くした子供の名前でした。奥万倉さんはショックを受けてしまいます。養父母から受けた愛情は、それは亡くなった別の子供に向けられるはずだったものなのかと。自分はその子の代わりでしかないのかと。そこからギクシャクし始めてしまった養父母の関係は、奥万倉さんが家を出ることでついには解決をしないままとなります。

 寿司職人コンクールの会場に、その養父母がやってきていました。立派になった自分の息子を見るために。奥万倉さんは素直にそれを喜べません。あの時できた亀裂を、なかったことにはできないのです。しかし、心の底では感謝をしていました。確かに、亡くなった子供はいたかもしれない。でも、裕福ではない家庭です。養父は奥万倉さんを引き取ったために、好きなお酒も飲みにいけなくなりました。それでも、養父母は奥万倉さんを育ててくれたのです。そこに愛情はあったのです。外に飲みに行けなくなった養父が、家で飲むお酒のつまみはそう、炙ったイカにカボスをかけたもの。あの味です。この寿司の味です。

 言葉では上手く伝えられない奥万倉さんが、寿司にその思いを込めて、かけてもらった愛情への応えとして作った寿司です。アンサー寿司です。この寿司が美味くなかったらどうします??そんな可能性考えられないに決まっているでしょう。その寿司は、美味いに決まっているでしょう。だって、それには奥万倉さんの人生が詰まっているのですから。

 

 このように将太の寿司に登場する寿司には様々な人々の人生が乗っています。将太くんもまた、多くに人に助けられて寿司を握ります。将太くんが握るのも、その思いに応えるアンサー寿司です。それが美味くないわけがない。

 

 将太の寿司にはこんな言葉がでてきます。「寿司とは心だ」と。将太くんがお世話になる鳳寿司の親方には、かつて腕のいい兄弟子がいました。しかし、その兄弟子はその寿司職人としての技術にも関わらず、鳳寿司を継ぐことができませんでした。なぜか?と。なぜ技術では勝る自分がその名店を継ぐことができないのかと。

 彼は自分の店を出します。しかし、その店には最初こそ多くの客がきたものの、だんだんと閑古鳥が鳴くようになります。なぜか?と。それは、技術に頼り心がなかったのだと。鳳寿司の親方は、お客さんを見て、お客さんに合った寿司を握っていました。しかし、彼が握っていたのは自分の技術を誇示するための寿司。お客さんが喜ぶのはどちらの寿司でしょうか?

 技術はもちろん必要です。しかし、技術だけではないんです。では、寿司とはなんでしょうか?寿司とは、「心」なのではないでしょうか?病の床に臥せるかつての腕利きの寿司職人は、ようやくそのことに気づきます。「寿司とは心だ」と。

 将太くんもまた、鳳寿司の弟子として、心の寿司を握ります。そして、生きるための寿司、将太の寿司を握るのです。

 

本題、そして5番目の理由

 さて、長い前振りが終わりましたが、先週末に「将太の寿司」に登場した寿司を実際に食べることができるイベントに行ってきました。

f:id:oskdgkmgkkk:20160910134913j:plain

 左上から右下にかけて、生マグロのヅケ、イワシの黄身酢乗せ、ボタンエビの沖ヅケ、芽ネギの寿司、牛肉の昆布締め、アワビのすりおろし軍艦、煮ハマグリ、古米と玉子焼きの巻き物です。名前は記憶で書いているので正確ではないと思います。あと、上で書いた将太の寿司情報も記憶だけで確認せずに書いているので、間違っているところもあるかもしれません。

 

 今回は、各回20人ほどの参加者がいたため、寿司はその場で握られたものを即食べられるのではなく、作り置きされたものでした。しかし、それでもすごく美味しかったので、これを握りたてで食べたいなあという気持ちにすごくなってしまいました。例えば、芽ネギの寿司は握りたてであれば原作通りに海苔なしで握れるそうです。また、煮ハマグリは、煮るというよりは、ごく短時間湯がいたものを再仕込み醤油に漬け込んだものだそうで、作り立てはめちゃくちゃ美味いそうです。作り置きでも美味しかったので、こりゃ相当のものだなと思いました。

 

 上で4つの理由を挙げたように、漫画の寿司は「概念として美味い」というのが、その美味しそうさの多くを占めていると思います。連載で読んでいた当時も、漫画で描かれていた情報から、今まで食べたことがある寿司の味を思い出しはしていたものの、自分自身の寿司体験が、小中学生のときではそれほど豊かでもなく、今までは情報と味の感覚が上手く滑らかには繋がっていなかったと思います。しかし、今回のイベントに参加して具体的に味わったことで僕には特別な5番目の理由、「味が美味い」が加わってしまったので、今後読み返すときには、今回の味を思い出すことができるという特権が得られたということになりました。

 

 その意味でも、今回参加したイベントはすごく満足度が高かったのですが、ひとつ大きな不満があって、それは「寿司は食べるとなくなる」ということです。なんで、ずっと食べ続けられないんだろう?なんで寿司は食べたらなくなってしまうんだろう?と思って、目の前の寿司について、食べたいけど食べたくないような気持ちを抱えつつ、ゆっくり大事に食べました。

 

寺沢大介原画展

 今回僕が参加したイベントは、銀座のチーパズギャラリーで行われている寺沢大介原画展にて行われていたものです。

ajikko-shota30.grinship.com

 ギャラリー自体はそう大きなものではありませんが、原画の展示だけではなく、インタビュー動画や、デビュー当時の読切漫画など単行本化されていない(と思います)漫画を読むことなどもでき、料理を再現した食品サンプルなどもあります。

 

 

 

 会場でびっくりしたのは、「ミスター味っ子」と「将太の寿司」の、本物の原画が一枚千円で販売されているということです。この先、いつか処分されるよりは、大事にしてくれる人の手元に置いておいて欲しいとのことのようですが、びっくりしたので思わずとりあえず5枚買ってしまいました。

 

 

 そして、5枚買うと(物販で5千円以上買うと)サイン会のチケットを頂けてしまいました。今日はそのサイン会(日程のうちの1日)だったのですが、原画展内のサイン会場で待つ間に、さらに欲しい原画を8枚買い足すことになりました。

 

 

 完全にヤバいですし、まだまだ好きなシーンが沢山あるので、開催期間中にまだまだ何回か足を運びたいと思っています。原画は、印刷では見えない筆致まで分かるので、感動度が高いですし、僕は完全に岸部露伴の原画を見た広瀬康一くんのような状態になっています。そういえば、今日原画を買った際にも、さらにサイン会のチケットを貰えてしまいそうになり、無限に参加可能??と思ってしまいましたが、おひとりさま1枚限りだと思いますので辞退した感じです。

 

 ちなみに寺沢大介先生のサインですが、リクエストに応えてもらえるとのことで、すごく迷ったのですが、僕がめっちゃ好きなシーンであるところの、「大和寿司の親方が将太くんに貰ったネクタイを締めているところ」という細かいリクエストしてしまい、案の定すごく困らせてしまいました(こんな機会は二度とないと思ったので…)。

 大和寿司の親方は、戦後に満州から引き上げる際、子供と別れ別れになってしまいます。しかし、残留孤児となった息子がいつ日本に帰ってきてもいいように、高齢ながら寿司屋を続けている人なんです。将太くんはそんな大和寿司の親方に、父の日にネクタイをプレゼントするんですね。そのプレゼントにいたく感激した大和寿司の親方は、休日に普段は着ない背広を引っ張りだして、そのネクタイを締めるわけです。見てくれ!みんな!このネクタイは、私の息子がくれたものなのだ!と。そう胸を張って街を歩くわけです。そんな気持ちを胸に、大和寿司の親方は将太くんの勝負の手助けとなるために、魚を釣ろうとするんですよ。本当に良い話なんですよ。

 ともあれ、その絵をお願いするのは、たいへん申し訳なかったのですが、ちょうどサインの前に大和寿司の親方の登場する原画を購入していたので、それをお見せしつつ描いてもらってしまいました。僕の名前隠しに置いてある小さいサインは、寿司イベントの際に頂いたものです。

f:id:oskdgkmgkkk:20160914211741j:plain

 このサイン会のために、今日のお仕事は力技で無理矢理終わらせて銀座に急いだので、無理矢理力技でお仕事を終わらせるのもよいものだなあと思いました。

 10月10日まで銀座チーパズギャラリーで開催の寺沢大介原画展、めっちゃいいので、みなさんも行ってみてはどうでしょうか?と思いつつ、目当ての原画の競争率が高まらないで欲しい!というような矛盾したような心境ですが、めっちゃいいので、「将太の寿司」や「ミスター味っ子」が大好きな人なら足を運んでみて損はないと思いますよ!!