読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

インターネット揉め事関連雑感

 常日頃から他人に対して攻撃的な人もいるにはいると思いますが、だいたいの人は、何もなければおだやかに日々過ごしているものだと思います。でも、そんな人でも場合によっては攻撃的な感じになることがあるんじゃないでしょうか?そのための条件のひとつは、「自分が攻撃されたと感じるとき」なのではないかと思います。

 なにしろ、攻撃されているとき、黙っていたらそのまま攻撃され続けますから、殴り返してもいいはずだと考えます。緊急避難の考え方ですね。このように、自分が不利益を被るという理由を手に入れてしまうと、人は普段は起こさないような行動を起こしてしまうことがあります。

 

 僕はこの辺の行動を起こすきっかけのことを「心の天秤」というふうに呼んでいます。それはつまり、人がある行動に至るには、心の中にある天秤にそれに釣り合う理由を乗せる必要があるということです。その天秤がどんな塩梅で動くかは人によって異なるので、どの行動を起こすのにどれだけの理由が必要かは人それぞれ異なるものだと思います。しかし、基本的にはそういうものだと思っています。ある行動がなされるとき、天秤の反対側には当人にとってそれに十分釣り合う理由が存在します。

 

 人がそうであるとした場合、悪い部分もあれば良い部分もあります。例えば「〆切が近い」という理由が天秤に乗らなければ行動できない人もいます。「自分はなぜ〆切ぎりぎりにならないと着手できないのか?」という疑問を持つ人は多いと思いますが、何を隠そう僕もそうなので、何で自分はこうなんだろうと思い続けてきました。でもこの「心の天秤に乗せる理由が足りていない」という考え方をするに至って思ったのは、自分の心の天秤はそういうバランスにできているのだという諦めです。その諦めの境地に至ったことで、自分が放っておくと〆切よりも早め早めに行動することができないという事実自体には悩むことはやめてしまいました。

 つまり、いくら心の表面上で焦っていても、「まだ頑張れば間に合う、大丈夫」という気持ちが心の奥底にあるうちは、天秤に乗せる理由の重さが規定量に達していないのです。なので、いくら早めに始めよう、早めに始めようとしても、それは無理なのです。この天秤のバランス自体を作り変えることは、おいそれとできることではないと思っています。変えられないにもかかわらず、行動を起こしたいのであれば、さらに上乗せする理由があればよいということになります。

 極端な話、〆切が1ヶ月後で、まだ頑張る気にならなかったとして、1秒に1cmずつ天井が下に降りてくる部屋に閉じ込められていて、その案件を終わらせないことには潰されて死んでしまうとしたらどうでしょう?仮にあと24時間でぺしゃんこになりますが、そのお仕事の〆切自体は1ヶ月後のままだとした場合、やらないと明日には死ぬけど、でも〆切は1ヶ月後だからまあやらなくていいや…とはならないと思います。このように今やるべき理由が生まれてしまったからには今始めるということになるはずです。

 めちゃくちゃな例え話をしてしまったので、余計に分かりにくくなったかもしれませんが、僕は何かをするときにはそういうことをします。やるための理由が足りなければ、やらないといけない理由を意図的に増やすことで対応します。例えばあえて期日を早めに回答しておくと、それを守らないといけない感じが強まります。趣味であれば、ネットで告知したりすると、告知だけしといて間に合わないと格好悪いなあという理由が生まれたりします。例えばイベントに申し込んでしまえば、間に合わせないと申込料が無駄になるという理由が生まれます。

 ここには色んなやり方があるんですが、自分という人間は本当に怠惰で、やらないで済むならやらないという結論に至ることが分かっているので、もうちょっと上位概念の理性が、状況に応じて適度に理由を積み増し、怠惰な自分をコントロールするということをしています。

 

 物事には両面がありますから、「理由が足りないと行動を起こせない」ということにはもちろん良い側面もあります。例えば犯罪なんかがそうですね。

 僕は犯罪をおかしてはいませんが、それは犯罪をするに足る理由を今十分に持ち合わせていないからだと思っています。でも例えば、飢えて飢えて死にそうになっていて、お金を一円も持っていないとしたら、食い逃げとかをしてしまうかもしれません。なぜならそうしないと死ぬと思っているので、これは大きな理由となります。であれば、食い逃げは犯罪ですが、やるべきことではないですが、天秤のもう一方に「でもやらないと死ぬ」という大きな理由が乗ってしまうので、それぐらいしてもいいだろうという考えになってしまうのではないかと想像してしまいます。

 世の中にはそれでもできない人がいて、その人は規範意識の強いバランスの心の天秤を持っているんだなあと思います。

 

 僕の考えでは、犯罪を実際におかしてしまう人は、2パターンあります。1つ目は行動に至るために必要な理由が、他人よりも少なくても足りてしまうという天秤のバランスであるというパターン。もう1つは、その人が他人よりも沢山の理由を抱えてしまっているというパターンです。

 「太陽がまぶしかったから人を殺した」と言ったとき、もちろんその理由は適当な嘘かもしれませんが、たったそれだけのことでも殺人と言う大きな行動を起こすに足る人なのかもしれません。その天秤のバランスは一般的ではないので、平均的な人から見ればその事実は恐ろしいと感じるでしょう。また一方、天秤のバランスは平均的でも、沢山の理由を乗せてしまえば、行動には足りてしまいます。それは情状酌量の余地とも呼ばれ、多くの人に理解できるものなので、減刑される理由になるかもしれません。

 この場合、罪を許そうとする側にもまた天秤があるのです。その人を許すに足るだけの理由を探すことが出来た人は許せるかもしれません。そして、見つけられなければ許せないかもしれません。

 

 他人について知れば知るほどに許せる理由を見つけてしまうかもしれませんし、もしかすると逆に許せない理由を見つけてしまうこともあるでしょう。ここには、先入観なども関係してきます。つまり、許したいと最初に思えば、許せる理由を積極的に探してしまうかもしれませんし、許せないと最初に思えば、許せない理由を積極的に探してしまうかもしれないからです。

 

 場がインターネットの場合、この人間は、許すにたる人間か、そうではないか、それを埋めるために必要な情報がネットの向こうから勝手に大量に供給されてきます。許すか許せないか、その分水嶺は、その中から何の情報を取捨選択するかによるのだと思います。

 これを僕は「マクスウェルの悪魔」と似ているなと思ったことがあります。マクスウェルの悪魔とは、エントロピー増大則への反例として挙げられた思考実験で、雑に説明すると、温度の異なる2種類の気体を混ぜ合わせればそのうち同じ温度になるのが普通です。ただ、ある種の「悪魔」が存在したとして、温度とは分子の運動のことですから、運動が激しい分子のみを選り分けて通す扉を作ってしまえば、大きなエネルギーなしでも、また気体を温度の異なる2つにわけてしまうことができるということになります。

 全ての分子、つまりここの喩えでは「理由となり得る情報」を同列に扱えば同じ温度になることは自然の流れですが、その中で一部の情報を選り分けで、抽出することで、ある種の温度を高めた箱を作ることができます。これはつまり、怒りたい人が怒るに足る理由を沢山探して怒ること、許したい人が許すに足る理由だけを沢山探して許すことと似ているように思いました。

 

 僕が自分の心の天秤をコントロールして、〆切に余裕をもって仕事をするよう行動を促すように、そのような情報の取捨選択によって、怒ったり悲しんだり許したり許さなかったりする温度を、人間は自分の中で自由闊達に変化させることが可能なのではないかと思いました。

 

 さて、ようやく本題ですが、インターネットは色んな揉め事があるので、それが目に入って色々揉めているなあと思うのですが、そこで気になるのは、この揉めている人たちは、どのような心の天秤を持っていて、そして、その天秤には何の理由がどれだけ乗っているのだろうということです。行動に至るということは、何かしらそれに足る理由を持ち合わせているのだと僕は類推するのですが、揉め事情報を眺めていると、しばしば双方が「最初に攻撃してきたのはあちらの方だ」と考えているらしいことを見て取ることができます。

 この文章の最初の方に書いたように、「攻撃された」ということは大き目の理由となり得ると思うので、行動に足るためには重要な役割を果たしているのではないでしょうか?そして、双方が相手側が攻撃してきたと判断しているということはどういうことかというと、攻撃の意図はなくとも相手を攻撃していることがあるという事実です。そして、それはしばしばやっている本人には自覚されていません。

 

 自分が誰かに攻撃されたと思ったとき、その攻撃してきた誰かに、自分がその行動に足るだけの理由を与えてしまったのではないかと思うことがあります。それはつまり、無自覚にその人を傷つける言葉を自分が発していた可能性です。

 もちろん天秤のバランスがユニークな人がいて、思いもよらない種類と程度の理由だけで、その行動に足りてしまっているのかもしれません。でも、そうではないのだとしたら、例えば自分がその人が大切に思う何かをうっかり否定的に語ってしまったなどがあったのだとしたら、そんな理由を相手に与えてしまいさえしなければ、この事態は回避できたのになと思います。

 

 持ち合わせている天秤のバランスを作り直すことはなかなか困難なことです。例えば〆切ギリギリまで何かをできない人がそれを修正するということは、学生時代の8月31日にあわてて宿題をしていた人が、次の年には見事7月中に完璧に宿題を終わらせてのけるようになるぐらいの困難さはあるはずです。やろうと思えばできる!と思う人もいるかもしれません。でも、実際にそれをやった経験がある人はどれほどいるでしょうか?

 相手の天秤のバランスを変えることは困難であるなら、相手に理由を与えてしまったことに自覚的になることが、それを回避するために有効な手段ではないかと思います。ただし、それを考慮して行動することは窮屈であると思えるかもしれませんが。

 

 一方、自分がある種の行動をしたくないと思ったら、それに足るだけの理由を自分が持ってしまわないように心がけることだと思います。簡単な方法のひとつは、ヤバそうな情報は最初から見ないことだと思ったので、それを実践しています。つまり、情報の量が増えなければ、行動に足る量の理由を抱えてしまう可能性は低まります。これを読んだら怒ってしまうかもしれないなと思うような文章があったなら、最初から読まなければ怒る可能性は低いです。

 しかし、自分が「読んだら怒りそうな文章を自分から積極的に読みに行くような人」であることを自覚するとどうでしょう?それはつまり、マクスウェルの悪魔のようなものです。だとすると自分は「怒りたい人」なんだろうなと思います。そして、その行動はつまり、怒るに足る理由を自ら取捨選択して得ようとしているということです。僕の中にもそういう性質はあると思うんですが、それを自覚すると嫌な気持ちになります。

 

 僕は近年、怒りたくないなあという気持ちが強まっているので、上記のように見ないようにするための努力をしています。幸いなことに、インターネットの文章は、タイトルの時点で自分が不快に思いそうなものをある程度見分けることができるので、非常に便利ですね。あとはこのサイトは見ないということをしたり、何かに怒りたいタイプの人が怒るための材料をSNSで大量に供給してくる様を非表示にしたりします。

 おかげで嫌な気持ちになることが減りましたが、必然的に人の集まる場所を避けるような形になっているので、人とは疎遠の傾向も強まっている気がします。ただ、そもそも人付き合いが得意ではない方なので、こちらの方が性に合っているなあと思います。

 

 つまり、「怒りたくないなあ」「嫌な気持ちになるなあ」とか「こちらの方が性に合っているなあ」というのは、僕がそのように行動するための重要な理由となっていて、僕の今の心の天秤はそのようにできているのだと思います。

 それを今の所は上手い具合にコントロールしていて、自分が良い感じになる方向に誘導しており、なんとなく意図通りに動けているような気がしますが、何かのバランスが崩れたりするとまた考え直さないといけないかもしれませんね。これからも良い感じにしていこうと思います。