漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

【感想】コミティア114にいってきました

 コミティアに行ってきました。ご存じない人のために念のため書いておくと、「コミティア」というのは漫画の同人誌の即売会です。「同人誌」というのは、もともとは同好の士がお金を出し合って作る本のことのようですが、現代ではこのような即売会、もしくは一部の委託書店のみで流通する、少部数だけ個人出版される本のことを意味していることが多いです。

 もしかして「漫画」という言葉をもしご存じない人がいたらと不安になってきたので、これも書いておくと、紙を小さな枠(コマと言います)に分割して、中に絵を描き入れ、さらに文字も書き入れ、それらを人間(学名:ホモサピエンス)が順を追って(日本の漫画では概ね右上から左下に向かって)見て読むことで、物語を記述できるという表現形態です。このような表現形態が、なんと日本では流行っています。おそらく古代バビロニアでは流行っていなかったでしょう。調べていないので間違っているかもしれませんが。

 さて、書いているうちに僕はさらに、「絵」と「文字」について知らない人がいたらどうしようと不安になってきました。上手く説明できる自信がありませんが、頑張って説明すると、「絵」とは、絵の具やインクなどの塗料を使って描かれる、それを見ることで「これはあれのことだなあ」と別の具象的な何かのことを想起できるようなある種の記号です。しかし、場合によっては、それが何だかもわからないものの、その中に不思議と何かの法則性を見出せたりもする抽象的なものでもあったりします。そして「文字」とは、言葉を物体の中に封印する術式です。その物体とは、紙や石やデジタルデータを格納する媒体であったりします。人間は文字を使うことで、他の人間に、時代や場所を越えて言葉を伝えることができます。それはとても素晴らしいことです。人間は絵や文字を使うことで、同じ時間や同じ場所を共有しなくても、何かの情報を伝えることができるという文化を持っています。

 その文化が発露している場所のひとつが同人誌即売会です。同じ時間に同じ場所に集った人たちが、同人誌を媒介に情報を交換し、別の時間と別の場所で同人誌に込められたその情報を体感することができます。

 

 今回コミティアに行ったのは、いくつか欲しい本があったということが理由なので、とりあえずはそれらがゲットできればよかったのですが、せっかく来たのだから、目当てだった本を数冊買うだけではナニだなあと思って、他にも目についたものを色々買おうと思って見本誌のコーナーに行きました。今回は、見本誌のコーナーが入口を入ったところから階段を上がって、2階の小部屋3つに分かれて置いてあったのですが、そこにあることに気づかず、しばらく探し回ってウロウロしてしまいました。

 見本誌は沢山あって、全部じっくり見ていられる時間がなかったので、表紙が気になった本の中身をパラパラ見て、なんとなくピンときたサークルのブースの場所をメモっていきました。表紙を見て手に取ったものは、全体の本の中でごく一部ですし、その中でも僕のいい加減な霊感を頼りにピンときたとなんとなく思ったものはさらにごく一部です。

 これらの沢山の本は人間たちが一生懸命作ったものであることを考えると、中身を読みもせず、取捨選択をしてしまっているという事実自体に、全くもって不誠実な感じだなあと思います。しかし、そんなことを思っている間に刻一刻と時間が過ぎていくため、心を鬼にして、早足気味ですが、危険なので決して走らず、かといってそれほどゆっくりでもなく、微妙で絶妙で安全意識を気にしながら歩き回ることにしました。あとゴリラ(学名:ゴリラゴリラ)のことも考えていました(好きなので)。

 

 ここまでの話はどうでもいいことなので、一言一句ちゃんと読んだ人はご苦労様という感じなのですが、以下、今回、事前には特に調べてはいなかったのですが、なんとなくピンときたという理由で買った本の感想です。「なんとなくピンときた」というのは、もうちょっと具体的に言うと、「絵が好きだな」と思ったということと、「言葉の感じが好きだな」と思ったということと、「絵と言葉の関係性が紡いでいる方向性が好きだな」と思ったということで、具体的には説明できませんが、ちらっと見た感じでなんとなく好きだなと思ったということです。あと僕はゴリラも好きなのですが(優しいので)、ゴリラの握力は500kgあるそうです。ヤバい(握力が強い)。

 

 

  • 「影踏み」「影踏み続」「影踏み結」(サークル名:TOY=CHEST)

 影が他人と違った形で見えてしまう少年を主軸にした連作です。後書きを読むと、もともとwebで発表していた作品のようで、1アイデアの短ページの物語が、小気味良く続いていきます。影の世界には、表の世界には見えない事実が露わになっていて、表面上は何も問題ないように見えている世界でも、影が加わることで、裏にある様々な不安定さが示唆されます。ここで描かれているものの多くは、気づかれなかった事件です。そのドラマチックな事実を、影によって知ることができた少年以外には、何の変哲もなく時が過ぎていきます。

 「起こらなかったこと」は、「なかったこと」とは違います。起こりそうであったこと、知られぬ間に解決されたことは、そうであるがゆえに普通は認識されませんが、なかったわけではないのです。それが影の世界というもうひとつの視点をアドオンすることで描かれており、すごく面白かったです。また、影の世界では人は喋りませんから、影の動き、つまり絵から読み取るもので多く物語られているのがよかったですね。また絵も(特に子供の絵が)可愛いんですよ。

 このシリーズは3冊で完結しているので、その3冊を買いましたが、新刊もあって、そっちは今回は買わなかったんですけど、買っておくべきだったなと後悔しています。

  • 「美しい街(1)(2)(3)」(サークル名:WONDER WORLD WOOD)

 ある街を舞台にした青春群像劇です。舞台は日本ですが、主人公は日本人の血の混じったイギリス人の少年、高校生、金髪で斜視、無愛想。イジメや先輩とのケンカ、ジェイソンのマスクをかぶって不良を狩る謎の男、ひょうひょうとしたメガネのオタク、青空の下では髪の毛が碧くなる女の子、ガタイはいいのにパシらされてる少年、そんな少年を影から見つめる女の子、そしてネンショーから帰ってくる先輩。

 既刊3冊ですが、決してページ数は多くないのに、数多くの個性的なキャラクターが登場し、彼ら彼女らがその街の中で、縦横無尽に動いて、出会い、揉めて、仲良くなり、あるいはいがみ合う様子が描かれています。キャラクター性が強いので、キャラが話しているだけで、とても面白いですね。

 見本誌でピンときた理由は絵なのですが、すごく魅力的で、ラフにざっくざく描いているようで、ちっとも雑に見えません。これが上手いということでしょう。そして、斜視の少年の顔がとてもいいです。一見どこを見ているのかが分からない顔が、表情を読み取ろうとするとき一瞬混乱してしまい、それが少年の心情の読みにくさとリンクしているように思います。

 まだまだお話は展開しているので、続刊が出たら買わないとなあと思いました。

 

  • 「『見えないけれどそこにいてね。』と呼びかけて」(サークル名:おおきめログハウス)

 左手がいつもぼろぼろにケガをしている女の子のお話です。傷だらけの手に包帯と絆創膏が幾重にもつけられており、たいへん痛々しい。しかし、彼女はそんな手を気に入っています。綺麗なものより、歪なものに惹かれてしまうからです。彼女は父親に殴られた主人公の女の子の、顔のケガにも惹かれます。彼女はある経験から、傷ついた自分の手を、自然な状態からひとつのある意志による歪さが加えられたことにより、魅入られて美しいと感じてしまい、そのときの感情を再現したいがために、自分で自分の手を壊し続けます。ケガを通じて交流する2人の少女の姿には、強い官能性があります。

 絵の場合、描き手の入れ込みは、描き込みとして現れやすいのではないか?と僕は思っているのですが、そのときにハードルになるのは、少女という存在です。なぜならば、描き込めば描き込むほどに味が出て来る、おっさんや老人の顔と異なり、少女の顔は、何もない方が原初的な美しさを保てると思うからです。シミとシワだらけの老人には人生が彫り込まれていますが、シミとシワのような描き込みだらけの少女は少女性を失ってしまうのではないでしょうか?

 この漫画では、そのような執着としての描き込みが、手の傷とそれを覆うような無数の包帯と絆創膏として現れているように思います。作中にある「誰かの意志によって歪まされること」というのがまさにそれに当たると思いました。エロスでした。

 

  • 「祖父の傘の話」(サークル名:極中生活)

 死んだ祖父が残した傘は、その内側に、もうひとつの空を持つという不思議な傘でした。しかし、その傘は意志を持ち、祖父のときのような綺麗な青空は、少女の上には広がりません。土砂降りで、暴風で、ときには雪や雹がまき散らされます。この物語は、そんな少女が傘に認められ、その中の青空を得るお話です。

 傘の中の青い空がそこだけカラーで表現される演出が、美しくてとてもよかったです。傘が少女を認めないのは、傘が祖父にだけ心を開いていた証だったのでしょう。傘を持つ祖父の笑顔はいつもにこやかでした。その先には青空が広がっていました。物語の最後に傘に認められた少女にもまた青空が到来し、少女はいい笑顔で笑います。

 オマケの四コマ漫画で、祖父と過ごした傘の記憶があるのもよかったです。

 

  • 「NEKKO」「カナリア工場にて」「星と見習い」(サークル名:キューカンバー!)

 幻想的な寓話が収録されている、本3冊です。

 例えば「NEKKO」に収録されている「ベンリな人たち」では、あるみすぼらしい少女のもとに、奇妙な形をした様々な存在が集ってくる様子が描かれます。それらは、その少女のみすぼらしさに、好奇のまなざしを向けてきたり、怒りをぶつけてきたり、自己陶酔を隠さない同情をしてきたりします。しかし、そんなみすぼらしい少女は強く、自分のそのみすぼらしさを利用して、寄せ付けたそれらの存在を糧にして自分の食事を作ります。「今日もおいしいご飯が食べられます、みんなありがとういただきます」の言葉とともに。

 このような人とそれに対する他者の関係性を描くことを、現実を舞台にした物語として描くならば、このページ数では収まらないでしょう。このような舞台装置であるがゆえの密度、ページ数が少ないがゆえに短時間でみっしりと伸し掛かってきます。そして、カケアミとベタで緻密に丁寧に表現される風景と奇妙な生物が、とても可愛く格好よいです。

 特に良かったのが「星と見習い」です。宇宙の中で、たったひとりで自分が何者で何をしているかも知らない、あるいは忘れてしまった少女が仕事をしています。その仕事とは、星と星を糸で結んで星座を作ること、流星を作ること、彼女は何も分かりませんが、仕事をする片隅で、宇宙に浮かぶ青緑色をした星が気になります。彼女はひとりです。いい仕事をしても誰も共有する相手がいません。自分が何をしているかも知らず、一緒に仕事を分かち合う相手もいません。そして、自分が何をしては行けないかも知らないのです。そして、彼女はその青緑色をした星に触れてしまうのです。その星には、彼女の仕事を見てくれていた人たちもいたというのに。

 彼女が何も知らないがゆえに犯してしまった失敗の恐ろしさが絵で描かれます。地球の海の水が宇宙空間を落ち、水のなくなった裸の海底があらわになってしまう絵が、現実ではあり得ないがゆえにとても美しかったです。

 この3冊、とても良かったので、新作があったら、またゲットしたいと思いました。

 

 とりあえず、今回現地で気になって買った本はこれぐらいです。たぶん、僕が辿り着かなかった面白い本も、もっとずっとたくさんあったのでしょう。また時間が合うようなら行きたいです。