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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

うちの爺ちゃんと戦争の話

 もう随分前の話、僕が大学を卒業して、春から会社で働くことになったときの正月、爺ちゃんが僕に話し始めたのは「組織は縦社会だ。上の命令は絶対だ」という話だった。爺ちゃんはずっと農業をしていたので、会社で働いたことがほとんどない(農業をやめてから警備員のアルバイトのようなことはしていた)。爺ちゃんが言う組織というのは、軍隊のことだ。爺ちゃんは軍隊で満州にいた。

 

 爺ちゃんは言った。「爺ちゃんのいた組織では、上官が出した最後の命令は『死ね』だった。当時はそれを聞くしかなかったけれど、今の組織は死ななくてもいいから、日本は良くなった」と。爺ちゃんは死ねと言われた。玉砕命令が出たあと、少ない弾薬と銃剣、そして袋に入った爆薬だけを持ち、最後の時間を待っていたそうだ。仲間のうちの何人かは、既に爆薬を抱え、戦車の下に潜り込み、そして爆死したのだという。その同じ爆薬の袋を枕にして、塹壕の中に寝転んで最期のときを待っていたのだという。

 結論から言うと、爺ちゃんは死ななかった。僕が生まれて話を聞いているのだから当然なのだけれど。死ななかったのは、爆薬を抱えて戦車の下に飛び込まなかったからだ。爺ちゃんは、爆薬を抱えて戦車の下に飛び込むのではなく、戦場から逃げた。命令に違反し、敵前逃亡し、組織から脱走した。だから今もまだ生きている。逃げたのは爺ちゃんだけではなかった。爺ちゃんの周りにいた人たちがみんなで逃げた。一番先に逃げたのは爺ちゃんの上官だったらしい。上官の人は爺ちゃんたちに玉砕命令を出し、なぜ行かないんだと叱責し、その後、馬で走り去ったらしい。残された爺ちゃんたちは円陣を組んで、これからどうすべきかを話し、逃げることに決めた。あとから知ったことには、その時点で実は玉音放送が流れていたらしい。だから、何も問題にはならなかった。その後、爺ちゃんたちはソ連兵に掴まり、シベリアに送られることになるが、それはまた別のお話。

 

 爺ちゃんは戦争に賛成だった。自分もお国のために戦うのだと思って、誇らしい気持ちで地元を離れたらしい。しかし、満州で待ち受けていたのは、軍隊の中で行われる壮絶なリンチだったそうだ。お国のために戦う誇らしい仕事という気持ちは、すぐになくなったという。テーブルをひっくり返し、四つの足の上に両の手足を乗せる。そして、背中を竹刀で叩かれ続ける。これが爺ちゃんのいた隊で流行っていた代表的なシゴキだ。新兵たちはすぐにぼろぼろになり、ろくな手当も受けられないから動けなくなり、色んなことに支障が出始める。でも、それが軍隊のもう少し上の方に伝わり、爺ちゃんの隊の上の方の人たちは怒られることになった。そして、新兵が動けないことで、自分たちが怒られたので、新兵へのシゴキはより強くなったそうだ。爺ちゃんは、ここにいれば、このまま死ぬと思ったらしい。敵兵と戦うわけでもなく、全く無意味に死ぬのだと。そして、その死の原因はおそらく隠蔽される。だから、どんな手を使ってでも逃げなければならないと思ったらしい。

 その後、爺ちゃんは別の組織に異動することに成功する。色々あったらしいが、詳しくは聞いてはいない。そして、異動した先で、訓練もそこそこに出たのが玉砕命令だ。逃げ出した先もまた別の地獄だ。人がひとり死に、戦車がひとつ壊れる。戦車がひとつ壊れたら、それによって殺される人が減るかもしれない。そして、人がひとり成長する時間と手間で、戦車はおそらく何台も作れるだろう。考え方によっては全く割が合わないが、考え方によっては少しは割が合う。割が合うと思う人たちがいたからこそ、そんな命令が出たのだろう。

 

 長いシベリア抑留を経て、爺ちゃんはようやく日本に帰ってくる。戦争の終盤に集められた若い兵隊は、軍隊と強制労働だけを経験させられ、教育も受けられず、職歴もないままに、歳をとり、日本に放り出された。幸い家族は生きていた。住む場所もあった。僕の地元も空襲で焼かれたけれど、爺ちゃんの家族が当時住んでいた地域は、もっとずっと山の方だった。農業をしていたから、食うものにも困らない方だった。30歳にさしかかる手前の爺ちゃんが、仕事も何もないままに、とりあえずしたことが結婚であるというのは、今の感覚では不思議で、でも、そういう時代だったんだろう。

 

 戦争が終わって色んなことが変わってしまった。爺ちゃんの父親、つまり僕の曽祖父は、右翼的な人であり、戦争を賛美し、若者たちを盛り立てた。それは敗戦により逆転し、強く批難されることになる。家に日本刀を持った暴漢が殴り込んできたこともあったそうだ。力で何かを押さえつける行為は、力を無くした瞬間に反発を受けてしまう。押さえる力が大きいほどに、反発も大きくなる。僕の曽祖父は逸話を聞くにかなりイカレた人であったようだけれど、僕が生まれる一日前に亡くなったので、実際に会ったことはない。ただ、それゆえに、僕はあの人の生まれ変わりのように扱われたそうだ。なので、イカレた逸話を聞くと、変な気分になってしまう。

 戦争を経て、むちゃくちゃになった家は、長い時間をかけて再生していくことになる。父ちゃんが生まれて、曽祖父は死に、僕が生まれた。僕は戦争のことを、伝聞でしか知らない。

 

 何年か前に、シベリア抑留からの帰還者に対する補償金がようやく出た。爺ちゃんはそれを受け取りつつ、珍しく怒っていた。遅すぎる、そして安すぎると。爺ちゃんと一緒にシベリアから帰ってきた人たちは、多くが既に亡くなっている。帰ってくることすらできなかった人たちも沢山いる。そして、爺ちゃんたちがそうなることになる事態を招いた責任を持つはずの、当時の政府の人たち、軍隊の人たちも、そのほとんどがとっくに亡くなっている。爺ちゃんはもはや誰に対して怒っているのか分からない。死者に対して怒っても仕方がない。日本政府は日本政府だけれど、それを構成している人間はごっそり入れ替わってしまっている。日本という国自体も、それを構成している人がごっそり入れ替わってしまっている。川の流れは絶えないけれど、それはもとの水ではない。かつて川の流れに家を流された人がいたら、その人はその川に恨みを持ち続けるんだろうか。ただ、時代が変われば、川の形も変わる。人間に都合がいいように固められたりもする。同じなのは名前だけになるかもしれない。

 

 僕は毎日平和に働いている。忙しいときもそうでないときもあるけれど、幸い「死ね」と命令されることはない。これからもそんな命令がないとありがたいけれど、実際そういうことを言われたらどうするだろうか?と思う。もし、それで死ぬとしたら、死ぬよりも怖いことがあるか、死ぬよりも大切なことがあるからだと思う。あるいは、自分が本当に死ぬとは思わずに、ただ流されて、気が付けば死んでいるのかもしれない。

 できれば他人に命令されて死にたくはないけれど、それはみんなきっとそうだろう。それでも死んだ人がいるのは、それなりに理由があったからだろう。理由を持ってしまうと、踏み出す力を持ってしまうのだろうか?あるいは、踏みとどまる力を失うのだろうか?なんにせよ、個人の決意や願望程度では変えようがない大きな流れというか、うねりの中でのことではないかと思う。

 

 終戦記念日、僕は特に黙祷もしない。戦争のことを考えたりもしない。ただ、何の日とかは関係なく、たまに爺ちゃんのことを思い出したときに、子供の頃から聞いた戦争の話を思い出す。爺ちゃんは人も殺しているはずだけれど、その話は、頑なに僕にはしなかった。そんな爺ちゃんも、あと十年は生きないんじゃないかと思う。病気もしているし、人には寿命があるから。

 

 今年もまた8月が終わろうとしている。そして、だからどうということもない。

 

(この文章はフィクションです)