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「ストーリー」という言葉の定義について(マッドマックス 怒りのデスロード関連)

 「『マッドマックス 怒りのデスロード』にはストーリーがない」、みたいな意見をネットで目にして、「いや、あるだろ」と反射的に思ったんですけど、

 その後、ちょっと冷静になって考えて、この手の意見を言っている人の考える「ストーリー」と、僕の考える「ストーリー」という言葉の意味が異なるだけなのではないかという感じになりました。ただ、改めてストーリーとは何か?ということを考えると上手く説明することが難しいと思ったので、今回はこの「ストーリー」という言葉を自分がどのような意味で使っているかということについて考えてみたいと思います。

 ちなみに、「マッドマックス 怒りのデスロード(以下、マッドマックスFRと略します)」はすっごい面白かったので、自分にしては珍しく劇場で2回観ました。初日に2Dで、一週間後に我慢できなくて4DXでも観た感じです。

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ストーリーとは何か?(オレオレ定義)

 僕が感じている「ストーリー」という言葉のイメージは、「ある出来事と別の出来事の間を繋ぐ線」のことです。作中の出来事それ自体は「点」として認識し、その二つの出来事を繋ぐ流れがストーリーです。ある作品の中には出来事は沢山ありますから、線は縦横無尽に引くことができます。また点に見える出来事も、細かく分けていくと、実はその中にさらに小さな出来事があり、その小さな出来事の間にも小さなストーリーが存在するはずです。作品の最初から最後に至るまでに、この線の流れが一本線に近く見えるのがシンプルなストーリーで、縦横無尽に交錯しているのが複雑なストーリーだと思います。

 

 この考え方で言うと、ストーリーの認識には2種類の指標があると思います。ひとつは出来事をどの程度の細かさで「点」として認識するかということ、もうひとつは、その出来事の間に「どのように線を引くか」ということです。そして、それらは本を読んだ人や映画を観た人の主観次第で異なるんじゃないかと思います。

 

マッドマックスFRの点と線

 マッドマックスFRの場合、おおざっぱに出来事を認識すれば「ある場所に行って帰ってくる話」です。おおざっぱに出来事の点を認識するならば、「出発する→到着する→引き返す→戻ってきた」というストーリー、そしてそれと並行して存在する「敵対する相手がいる→倒す」というストーリーです。非常にシンプルなので、十分シンプルなストーリーは「ない」と表現できるかもしれません。

 

 しかし、それらの出来事をおおざっぱでなく細かく見ていくと、大量の小さな出来事が複雑に交錯するストーリーであることを見て取ることができると思います。それらは主に台詞ではなく、アクションシーンとして表現されています。また、全体の流れだけでなく、登場人物のひとりひとりに着目すると、起伏のあるストーリーが存在することも分かるはずです。

 

 ただし、小さな出来事の中のストーリーは、「ストーリー」ではなく「シーン」という言葉で表現されるべきかもしれません。シーンの中の出来事の点の繋がりにはストーリーとは異なる特徴があります。それは、シーンの中の点は、そのシーンの中だけで接続が完了し、別のシーンの中の点とは結びつかないということです。そういう考え方をすれば、マッドマックスの構造は重厚なシーンとの連続と、それらのシーンを接続した、シンプルなストーリーと表現できるかもしれません。

 

漫画の点と線

 漫画を読んでいても思うのですが、ストーリーが複雑な漫画は一見さんをお断りにするような雰囲気があると思います。なぜならば、ひとつのシーンの中に含まれた点の接続先が、過去の別のシーンに接続されていることが多いからです。つまり、前のシーンを読んで、それをちゃんと憶えていなければ、意味が分からないという構造になっています。なので、その面白さは最初から読んでいる人にしか分からない可能性が高まりますし、途中から読み始める人には意味が分からないので、マニア好みとなってしまいがちです。

 漫画の中にはしばしば「過去編」というものが登場し、僕はこれらが非常に好きなことが多いですが、この面白みは、複雑なストーリーの面白みです。つまり、今まで描かれてきた様々なシーンの中の点が、過去編によって一気に接続され始めるということです。あれとそれが繋がるという面白みは、繰り返しますが前提として、過去に描かれていた点を憶えていなければならないので、その漫画が好きな人には強烈に面白いものの、そうでない人にはそうでありません。なので、雑誌の人気投票などでは過去編が始まると人気が落ち込むこともあります。

 このようなことは作中の出来事のみに限りません。事前の常識や専門知識、あるいは個人の体験などと接続しなければ理解ができない作品もあると思います。どちらが良いということはないと思いますが、より多くの人に分かるのは、そういうものがなくても楽しめるものの方でしょう。なので、ある程度の科学知識を要求されるSF作品や、その時代やその場所(国や文化)の常識を持っていないと理解できない作品、特定の体験を経た人にしか理解できない描写のある作品などは、その条件を満たした人にはより強く響くものの、満たさない人には込められた意味が十分に伝わらないものになってしまうことも多いと思います。

 

 今回のマッドマックスでは、ベースとなっているストーリーがシンプルであることで、今目の前にあることが、今目の前で解決されていくということに集中できるようになっていて、その連続が最初から最後まで続くという構造になっているのかもしれません。それだけで十分に楽しいので、ストーリーを読み解かなくても楽しいかもしれませんし、興味のある人は背後にある考え方などを読み取って色々なことを感じることもあるでしょう。

 

登場人物の個別のストーリー

 さて、前述のように登場人物に着目すれば、それら個々人におけるストーリーも認識できるはずです。以下では本作の代表的な人物として、フュリオサ、イモータンジョー、ニュークス、そしてマックスについて、僕が認識したストーリーを簡単にまとめてみようと思います。

 

(以下、すごいネタバレをしているので未見の場合はこの項は飛ばした方がいいと思います)

 

  • フュリオサの場合

 フュリオサのストーリーはこの物語の本筋と概ね一致しています。彼女は幼い頃、緑ある土地で平和に暮らしていたところをさらわれ、砦に連れてこられた女性です。彼女は片腕を失い、頭を丸め、オイルで化粧して、砦の中のそれなりの地位に上り詰めます。彼女の目的は生まれ育った緑の土地に帰ることです。彼女は、砦に囚われ、物として扱われていた女性たちを連れて、生まれ育った土地を目指します。周到に準備した計画はちっともその通りには行きません。何度も無茶をし、何度もピンチを乗り切りながら、彼女はついに生まれ育った土地に到着します。幼い頃の彼女を知る人たちとも再会できます。しかし、そんな彼女が知った衝撃的な事実は、あの緑の土地は汚染によって、作物の育たない沼地に変貌してしまったということです。彼女の脱出の試みはこれが初めてではなかったでしょう。何度も失敗し、何度も挑戦してきたのは、過去の思い出の中にある美しい記憶があったからだと思います。しかし、それらは既に幻でした。彼女は絶望しますが、新たな可能性に賭けようと思います。どこまで続くか分からない塩の湖の果てに、約束の地があるという可能性にです。しかし、その行為はマックスに制止されます。実は既にないのにあると信じていた緑の土地を、今度はあるか分からない約束の地に置き換えて探しに行こうとするフュリオサ、ここではないどこかに素晴らしい世界があることを信じていた彼女に、マックスは、そんな不確かなものではなく、今確実にあるものを得ようとすべきだと主張します。そして彼女は再び砦に戻ることにしたのでした。イモータンジョーと戦い、その土地を奪うために。フュリオサは死にかけながらも、最後は勝って終わります。

 

  • イモータンジョーの場合

 イモータンジョーのストーリーはあまり言葉では語られません。画面から読み取る必要がありますし、それを正しく解釈できているかも僕には自信がありません。イモータンジョーは砦の独裁者で、世界が崩壊する前からの生き残りであり、高齢の男性です。最初の登場のシーンでは、病気の痕跡も見える老いた肉体に、マッチョな筋肉を模した鎧と、呼吸器つきの厳つい歯のマスクをつけます。これはつまり、加齢と病気により、強い存在であり続けることがもはや難しくなっているにも関わらず、虚勢を張っていると読み取ることができます。それゆえに彼は後継者を求めるわけですが、冒頭に登場する息子たちは、ひとりは肉体に障害を抱えており、もうひとりはマッチョに成長した肉体とは裏腹に、知的障害と呼吸器の障害を抱えているように見えました。イモータンジョーは健康な後継者を欲していました。そして、そのための手段として健康な女性を集めてハーレムを作っていたと読み取れます。しかし、それゆえに女性を手段として物として利用してしまいました。そして、彼女らに逃げられてしまうというのがこのお話です。イモータンジョーは生まれてくるであろう子供に執着します。逃げた女性たちを追いかけても、彼女たちを殺すことではなく、取り返して子供を産ませることに執着します。しかし、彼に到来するのは悲劇です。臨月を間近に控えた子供は死に、彼は健康な息子を、次代を担う存在を失いました。それでも彼は諦めません。残った女性たちを取り返し、また新しい可能性に賭けることを考えるのです。しかし、彼は負けてしまいます。彼は死にました。しかし、残った女性のひとりは既に妊娠しています。もし、その子が健康な子であれば、もしかするとイモータンジョーの望みはある意味叶ったのかもしれません。

 

  • ニュークスの場合

 ニュークスのストーリーは一番明確に描かれているかもしれません。彼は荒廃し汚染が進んだ世界で、輸血がなければ生きていけないほどの病気を患っています。マックスはそのための健康な血の輸血袋として取り扱われます。彼の死は遠くない時期にやってくることが窺い知れます。それゆえに、輸血袋を車の先に括り付けてでも、手柄を立てるために出発します。彼は死ぬことを恐れてはいません。むしろ、死にたがっているように見えました。しかし、望むのは無駄死にではなく意味のある死です。どうせ死ぬことが分かっている彼には、せめて意味のある死、自分が生きた証を残したいという願望があるように思えました。その意味を提供するのは、イモータンジョー、砦の独裁者、一番の権力を持つ男です。ニュークスはイモータンジョーに視線を送られたことに狂喜乱舞し、彼のために命を賭してフュリオサの運転する車を止めにかかります。しかし、それは失敗します。何度も失敗します。無様な失敗を見られ、イモータンジョーにも侮蔑の眼差しを向けられます。彼は全ての希望を失ってしまいます。そんな彼に新たな希望が生まれました。イモータンジョーの妻であった女性うちのひとりとの交流です。彼は新たに自分の生きる意味を得、マックスやフュリオサたちとともに逃げることに協力するのです。その中で、彼は自分が死ぬべき場所を見つけます。誰かを守るために死ぬべき場所です。「俺を見ろ」、彼は最後にそう呟きます。遠からず死にゆく運命であった彼が、いかに生きたか、それを誰かに憶えていて欲しかったのではないでしょうか?彼は自分が守るべきものを見つけ、そのために自分が死ぬべきときを自分で発見したのです。

 

  • マックスの場合

 マックスのストーリーはよく分かりません。彼にはトラウマがあること、それは誰かを助けられなかったことであることが示唆されます。その幻覚をマックスは何度も見ますが、それが具体的には何であったのかは、最後まで語られません。彼は誰かに深く関わろうとはしない男でした。イモータンジョーから逃げる女性たちも見捨てて行こうとします。彼女たちに名前すら教えようとしません。辿り着いた先で、彼は望み通りの自由を得ます。車があり、自由があります。どこへだって行けるのです。しかし、そこで彼は彼女たちに協力することを選択します。引き返し、砦を奪取するという提案をします。彼は戦い、傷ついたフュリオサを助けようとします。その中で彼はついに自分の名前を教えます。関わらず、去っていくことを望んだはずの彼が、自ら関わり、死の淵にあるフュリオサを呼び戻そうとします。しかし、全てが終わったあと、彼はやっぱり去るのでした。なぜなら、彼はそういう男だからです。

 

 このように背後には様々な人々の様々な思いと行動が交錯し、希望や絶望を繰り返し、それぞれが何かを獲得したり、失ったりしています。が、それはそれとして、その行動の発露の結果がカーチェイスです。海の底に何が眠っていようが、海面に現れるのはひとつの波です。観る人たちはその荒波の上を、サーフボードで乗っているうちに最後まで到達します。その上から、水の中を覗き込んでもいいですし、覗かなくてもいいと思います。それはそれとして、波に乗ること、それが最高に気持ちいい感じだなあと思いました。

 

まとめ

 僕が考えるストーリーとは、出来事と出来事の繋がりのことであり、これをもう少し細かく考えてシーンとストーリーを分離すると、シーンとシーンをまたぐような繋がりがよりストーリーと認識されやすいのかもしれません。その辺の塩梅を各人がどのように捉えるかによって、ストーリーは認識できたり、できなかったりするのではないでしょうか?ただし、登場人物の状況や心情などを踏まえて、より細かく出来事を認識して点を打ち、それらを縦横無尽に繋げていけば、いくらでもストーリーを認識しうるほどの情報が、充分なほどにマッドマックスFRには詰まっていたように思います。上に長々書いたものなんて、映画の中に詰まっていた情報のごくごく一部でしかないからです。簡単に言葉で要約できるものではないのです。

 さて、この文章で言いたかったことを一行でまとめると、「言葉の定義を都合よく設定してしまえば何とでも言える」ということです。長々と読んで頂きましたが残念でした。おしまい。