読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「子供はわかってあげない」について

はじめに

 読み終わってからだいぶ時間が経ちましたが、すごい面白いなあと思って何度も読みつつも、例によって言葉にするのが苦手なので、どう面白かったのか説明できない感じでしたが、その後、さらに何回も読んで、ようやくなんとなく言葉になってきたような感じがするので、それを書こうと思います。

f:id:oskdgkmgkkk:20150531205954j:plain

 

概要

 「子供はわかってあげない」は田島列島の漫画で、書道部の少年ボーイと水泳部の少女ガールがミーツするところから物語が始まります。同じマイナーアニメが好きなことから意気投合する二人。やる気のなさそうな少年ボーイことモジくんに、ちょっと変わった活動的な少女ガールことサクタさんは相談を持ちかることになります。それは、家に届く謎の手紙の正体を探ること。そして、それは彼女が物心つく前に別れた実の父親に関係するものだそうなのです。そうして、モジくんは、売れない探偵をやっているお兄ちゃん(今では性転換してお姉ちゃん)に相談を持ちかけることになるのでした。(つづく)。

 

好きなところ 

 この漫画のどこが好きかというと、すぐに脱線するところです。お話の本筋に関係ないように見える部分が大変充実しています。読んだときの印象としては、この漫画は漫才に似ていると思いました。漫才の基本的な形は、ある本筋(「僕ね、最近○○にハマっているんですよ〜」みたいなの)があるときに、ボケが話を本筋からずらし、ツッコミがそれを元に戻すということを繰り返していくものだと思います。そして、漫才の最後では、本筋に戻って「もうええわ」の〆の台詞が登場します。しかし、その「もうええわ」の前の最後のボケの一言は、それまでに出てきたボケと絡んでいることが多いのです。つまり、本筋からずれているはずのボケが、いつのまにか母屋を乗っ取っているような感じになります。

 本作もそれに似ているのではないかと思います。物語の本筋はサクタさんのお父さんの行方を追うこと、そして、その裏で発生していた事件を解決することかもしれませんが、その過程で登場人物たちの会話が脇道に逸れることが面白く、そして、要所要所で本筋を食ってくるように思います。何気ない一言が、後々の展開に聞いてくるという、小さなパンチのコンビネーションが、小気味良く、最後には大きなパンチでノックダウンされてしまうのです。

 僕は「世の中で一番面白いのは内輪受けだ!!」と思っているのですが、そのためには前提として自分が内輪に入らなければいけません。外から見た内輪受けは逆に世の中で最も面白くないものであるとも思うからです。この漫画を読み進めるうちに、読者の僕は自然とこの漫画の登場人物たちの内輪に巻き込まれてしまったのでした。


(この辺からネタバレが強くなるので、漫画を先に読んだ方がよいと思います)


 さて、小ネタが本筋を乗っ取る件の具体例で言えば、モジくんの書道の話があります。モジくんは書道の一家で育ったのですが、家を継ぐ気のないお兄ちゃんは、幼いモジくんの書を鍛えてその役を押し付けようとします。そこで出てきたのが、「習字が上手くなると字がそのまま実現する」という嘘です。「火」と書けば、実際に火がでるという嘘を教えられた幼いモジくんは、興奮して一生懸命に字を練習しますが、当然嘘なので実際に火がついたりはしません。そんな思い出をサクタさんにばらされて、モジくんはからかわれてしまうのでした。

 しかし、物語が進み、連絡がとれなくなったサクタさんを、わずかな手がかりをもとに浜辺に探しにきたモジくんは、砂の上にサクタさんの名前を書いてしまうのです。そんなことで見つかるはずがないと思い、顔を赤らめてしまうモジくんですが、なんとそこでたまたま海で泳いでいたサクタさんと再会してしまうのでした。つまり、お兄ちゃんが言っていた嘘が、このときこの場では本当になってしまったのです。このように、本筋に関係ない何気ない小ネタだと思ったものが、気がつけば本筋に絡んでくるのです。

 これらは伏線然としておらず、記憶の底で主張せずぼんやりとしているからこそ、再び出てきたときにハッとする感じです。こういうのが沢山つまっていて、僕はそれがとても楽しく感じました。

 

本作から読み取ったような気がするもの

 さて、この物語の背骨にあたるものは2つあると僕は思っていて、それは「分かりやすいほどのボーイミーツガール」、そして、「人が人に何かを伝えるということの大切さ」です。

 ここでキーワードとして出てくるのは「教わったことは教えられる」という言葉です。モジくんは家族に教わった書を、書道教室の子供たちに教えますし、サクタさんはお母さんに教わった水に浮く方法を、水泳の苦手な女の子に教えます。一方、サクタさんのお父さんは、その特殊な才能ゆえに新興宗教の教祖に祭り上げられていたのですが、それは本当に特殊な才能で、誰かに教わったわけではないので、他人に上手く教えることができません。

 人間は人間に何かを伝えていくもので、誰しもその大きな流れの中に生きているのだと思います。誰かから教わったものは言葉や方法論に既になっているので教えるのも比較的簡単かもしれません。そして、その内容の責任も他人任せにできるので、安心して言えるかもしれません。そんな昔々からの多くの人たちの知恵を今行きている人は受け取り、そして次へ伝えていくのです。それは、ああ、そうだなあと思うことなのでした。望むにせよ、望まざるにせよ、どのような形であっても、人間は人間に何かを伝えます。そして、それは人間関係そのものだと思います。ボーイミーツガールも、その形態の一つかもしれません。

 言葉にするとしょうもなく思えるのかもしれないですが、人と人が出会って人間関係を構築するということは素晴らしいなと思うわけですよ。

 

 さて、サクタさんのお父さんは、自分にしかできないことを追い求め過ぎたせいで、それを上手く伝えられないもどかしさの海で溺れてしまっていたようでした。そういう意味でいうと、僕が今、漫画を読んで思ったことを、上手く伝えられないもどかしさで感想が書けない感じでいることと、似ているのかもしれません。でも、視点を変えれば、これは漫画という形で教えられたものを、別の人に伝えようとする行為なのかもしれません。そういうことを考えてしまって、なんだかよくわからなくなってしまったなあと思いながら、結局なんだかよくわからないままなので、それをそのまま書くことにします。

 

「子供はわかってあげない」というタイトル

 「子供はわかってあげない」というタイトルは、たぶんトリュフォーの「大人はわかってくれない」と掛かっているのだと思います。各話のサブタイトルも基本的に何かのパロディになっていて面白いのですが、最終話は「children grow up by understanding」となっています。子供はわかることで成長するということです。裏をかえせば、「わかってあげない」うちは子供で、「わかってあげる」ことができるようになると大人ということでしょうか。

 この物語の中には、悪い人はあまり出てこず、器用不器用なりに、他人のために何かをしたり、他人のことを理解しようとしたりしています。この漫画の魅力は、そういう世界そのものであるような気がしていて、ずっとどっぷりつかりたいような世界であるように思います。お話はよい感じに終わりますが、僕には読み返すという方法がありますから、何度でもそこにどっぷりつかることをしています。

 

おわりに

 さて、漫画を読むといつもそうですが、面白いとはわかっても、それが自分になぜ面白かったのかはだいたい説明がつきません。頑張って言葉にしてみようとしますが、どう言葉にしても何か違うような気がしていて、なんて難しいんだとごろごろ転げてしまいます。なので、多分上の文章もよくわからないと思うんですけど、素晴らしいことに、元の漫画を読めばきっとわかると思うので、そうすればいいんじゃないかなあと思いました。

 サクタさんのお父さんの台詞をもじるなら、「世界に必要なのは『自分にしか書けない感想』じゃない、『誰かから渡された漫画を次の誰かに渡すこと』だけだ」という感じなので、未読の人は読んでみて、既読の人は読み返すとよいのではないかと思いました。おわり。

 

 余談ですが、この文は、長渕剛の「西新宿の親父の唄」を狂ったように聞き続けながら書きました。