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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

人魚について(次回妖怪本のための叩き台)

また妖怪本作ります

 どこの同人誌即売会に出すのかまだちゃんと決まってませんが、妖怪本の第二弾を作ります。ということだけ決めました。

 本の内容は、漫画の中に出てくる妖怪表現と、その妖怪自体の歴史や関係性や位置づけを僕が読んだ本をベースにまとめるという感じの、例によって僕が好きなことだけ書いてある趣味本ですが、今回のテーマは「人魚」と「天狗」と「鬼」って感じです。とりあえず、今は人魚についての情報が一番集まっているので、それについての現時点でのメモ書きを書いておこうと思います。ちなみに本のタイトルは「怪奇雑考妖異変」となる予定で、田中香涯の「医事雑考妖異変」が元ネタです。

 

人魚漫画

 さて、僕の中での代表的な人魚漫画と言えば、高橋留美子の人魚シリーズです。この漫画は、人魚の肉を食べ800年生きている青年と、色々あった結果、人魚の肉を喰わされてしまった少女の二人組が、その不老不死の肉体から、普通の人間に戻って普通に老衰で死にたいという願いをかなえるために旅をし、その中で人魚を巡る様々な事件に遭遇するという感じの漫画です。

 確か僕が小学生か中学生ぐらいの二十年ぐらい前に最後の話が描かれて以来、新作はなかったと思いますが、この前、この漫画のコンビニ本が出ていて、そこに掲載されていたインタビューでは、高橋留美子がそのうちまた描きたいと言っていたので、それを楽しみにしています。

 

 この漫画で取り上げられているのは「人魚の肉を食べると不老不死になる」という伝説です。このような話では、八百比丘尼の伝説が有名です。八百比丘尼お話は特に本州の日本海側を中心に全国的に伝搬しており、ひょんなことから人魚の肉を食べてしまった女性が、その老いず死なない体のままで旅をし、800年生きているというような感じのお話で、ディテールを追うと多種多様にあるのですが、そもそも人魚を食べると不老不死になるという理屈が不思議だなと思うのです。そこで、人魚と不老不死をリンクを見つけるのが、現在の読書の目的と定めました。

 八百比丘尼と不老不死の話は漫画的にも使い易い題材なので、「無限の住人」における万次さんに宿主を不老不死にする血仙蟲を与える役として登場したり、元は小説ですが「おもいでエマノン」のエマノンが昔八百比丘尼と呼ばれていたというような話もあります。他にも枚挙に暇がありませんが、キリがないので省くとします。

 

人魚の起源?

 人魚の面白いところは、東洋にも西洋にも同様の存在がいるということです。古い情報をあさると古代中国の地理書である「山海経」に人魚の情報があり、そこでは手足と顔のついた魚として描かれています。西洋ではギリシャ神話に出てくるセイレーンや、メソポタミアのシュメール文明に知恵をもたらした半魚人オアンネス、日本では日本書紀の記載に近江の国の漁師が人魚(記述からすると人面魚に近い)ものを網で捕まえたという記述があります。

 このように、一口に魚と人間が融合した想像上の生物と言っても、現在の一般的な認識のように上半身が人間、下半身が魚という形態とは限りません。魚の背面に人間の全面という姿のものもあれば、顔の部分だけが人間であるもの、魚の体に人間の手足が生えているものもあります。また、上半身が人間のようでも、牙の生えた化け物然としたものから美しい女性のものもあります。それらを一緒くたにして「人魚」と呼んでしまっているだけであり、実際は多種多様な起源をもつものの習合ではないかと思いました。

 では、そもそもなぜ世界各地の沢山の人が、人間と魚が融合した生き物を想像したのでしょうか?僕が考えるに、ひとつは人間はその認識の問題として、色んなところに人間を見出してしまうということがあるのではないかと思います。宮武外骨の「人面類似集」には、沢山に人間の顔に似た何かの情報が収録されています。例えば、岩に人の顔を見出した人面岩や、蟹の背中に人の顔を見出した平家蟹、体の一部の例えば傷痕何かに見出したものが人面瘡となったのかもしれません。そして、海で見かけた何かに人を見出すと人魚になったかもしれないということです。

 あるいは、海人族との関連も可能性の一つです。安曇氏や宗像氏のような、海を生活の中心とし南方よりやってきたとされる人々は、その存在の伝聞の中でもしかすると魚と同一視されたかもしれません。

 

不老不死の話

 不老不死のお話もまた、はるか昔から存在します。例えば、ギルガメッシュ叙事詩において求められる不老不死や、不老不死の霊薬を求め水銀中毒で死んだとも伝えられる秦の始皇帝の話を始めとし、世界各地の多くの世界創生神話の中では人が死ななければならない理由が語られることで、逆説的に人は何故不老不死ではないのかが描かれます。人は死にます。それは世界のどこでも同じでしょう。そして、それが避けられない出来事であり、多くは悲しみを内包する事象であるからこそ、死なない人という想像力が発揮されるのではないでしょうか?神仙思想を始め、死を克服しようとする試みは世界の各地に存在します。

 日本で不老不死と言えば古事記日本書紀における、イザナギイザナミの話、コノハナサクヤビメとイワナガヒメの話、垂仁天皇がタジマモリを常世の国に遣わし不老不死になれる果実を採らせに行くの話などが代表的なものだと思います。また、おとぎ話の中でもかぐや姫のお話の最後に登場する不死の薬の話、あるいは浦島太郎の話も玉手箱を開けるまでは不老であった物語として読めるかもしれません。

 これらの話に概ね共通する特徴のひとつは、「ここ」と「ここではないどこか」という境界の話ではないかと思いました。黄泉平坂や海の底、海の向こう、選ばなかった可能性、つまり、不老不死は「ここではないどこか」に存在し、そちら側に行った者だけがその権利を得ることができるということです。そして、ここに留まっているだけの人々には永遠にその権利が手に入りません。

 あるいは、向こう側に行った人たちが、帰ってこれなくなる物語とも考えられます。あちら側にから帰ってこれなくなる時点で、それは死の近似です。そうして社会的に死んだ者は二度死ぬ事はできませんから、それは不死の近似とも言えるかもしれません。いなくなった彼ら彼女らは別の国で永遠の存在になったという想像力もあり得ます。多くの神話や昔話において、向こう側に行ってしまった人々が現地の食べ物を口にしたことで帰ってこれなくなるという類型が存在するのです。黄泉の国の住人となってしまったイザナミはその最たる例ですし、近年の物語でも「千と千尋の神隠し」では、トンネルの向こうの食べ物を食べてしまった千尋の両親が豚となってあちら側に囚われてしまうのです。


海と異界

 つまり、不老不死の話とは異界の物語として捉えることができると思います。そして、とりわけ島国の日本において、海の向こうというものは代表的な異界です。浦島太郎は海辺で亀を助けます。常世の国は海の向こうに存在します。ここで、海と不老不死が繋がるのではないかと考えました。

 これにより、人魚という存在は人と海の狭間に位置する存在と考えることができます。人魚を食べるということは、あちら側の食物を食べるというタブーと、同時に人肉食のタブーを犯す行為とも考えることができるでしょう。どちらにせよ、こちら側のルールを侵す存在は社会集団から排除され、あちら側の住人とされてしまいます。村を追われ、異界の住人とならざるを得なくなってしまうのです。

 

 不老不死の物語とは、不老不死であるがゆえに寿命のある人との無数の別れを無限に経験しなければならないという悲劇でもあります(人魚シリーズもその悲しみが何度も描かれます)。異界の食べ物を食べてしまい、異界の住人となってしまった人は、もはや普通の人と一緒に暮らすことができなくなってしまうのです。それゆえ彼らは旅にでます。諸国を回った八百比丘尼の話は、ある見方では、一つの場所に留まれなかった人の話といえます。それはつまり、この共同体ではないどこかにいると伝聞されるだけと化した存在です。彼ら彼女らはここにはいない誰かであるがゆえに、あらゆる共同体に外部として認識され、逆説的にあらゆる共同体にその存在の痕跡を残すことができます。Aという村にいた人は、Aという村にいた人でしかありませんが、どこかからきた誰かは、あらゆる村に来たことがあるという伝説を残すことができます。

 現代でも、噂として流通しやすいのは「友達の友達の話」です。本当に存在しているのか分からない、ここではないどこかの住人、それが、人魚を食べた人であるのではないでしょうか。つまり、昔で言う八百比丘尼は現代で言えば例えば「マックで隣の席に座っていた女子高生」などという名前で生き続けていると考えられるのです。八百比丘尼はどこにでもいましたが、どこにもいなかったのです。

 

 異界の物を食べる、つまりは禁忌を犯すことによって、あちら側の住人となり、戻ってこれなくなった、共同体の永遠の外部者が八百比丘尼であり、あるいは同様の類型であるイザナミでもあります。ということを考えてググっていたら、妖怪ウォッチでは、八百比丘尼イザナミは同じ人魚の姿をした妖怪の色違いとして存在しているようです。もしかすると、妖怪ウォッチの妖怪を考えた人は、僕と同じ考えなのかもしれません。

 

まとめ

 色々と資料自体はもっと集めているのですが、まとめきれていないので、今回は省くとして、とりあえずの基本的な論旨は上記のような感じのことを今は考えているのですが、もうちょっと細かい話を色々な文献から都合よく引っ張ってきて、良い感じに構成したい感じですね。

 秋口ぐらいに出来上がる予定の完全版を何らかの形でお見せできたらよいなあと思います。とりあえずは以上です。