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ビデオゲームの実写映画化の方法について

 ビデオゲームを実写映画化するということは、今まで色々とやられてきていて、上手くいったものも、これは一体何なのだろうと思うものも、ゲームとは別物だけれど、これはこれで良いものだと思うものもあったりします。ただ、思うのは、ゲームを映画化する際には、ゲームのストーリーやビジュアルを継承することはあっても、ゲームの根幹であるはずのゲームシステムの部分が映画の中に取り込まれることはあまりないのではないかと思いました。

 賛否両論あるとは思いますが、シリーズが続いているという意味では十分成功しているであろう「バイオハザード」において、元のゲームが持っていたインクリボンの数によってセーブできる回数が限られているというような緊張感や、残弾数を考えて、ゾンビをできるだけ倒さずに避けていくような緊張感、パズル的な謎解きの部分であったりするものは概ね映画に反映されておらず、ゾンビを中心としたバイオ兵器と、主人公たちがドンパチ銃撃戦や肉弾戦を行うというものとなっています。

 

 ゲームと映画は別の媒体ですから、当然同じものを再現するということは基本的に不可能だと思います。映画は長くても3時間程度で終わりますが、近年のゲームは3時間で終わるということはまれです。なので、ストーリーだけでもそのまま映画で再現するということはとても難しいはずです。映画のバイオハザードの場合は、背景設定と一部のキャラクター、敵のビジュアルなどがゲームから流用されており、その他の部分は映画用のオリジナルですし、回を重ねるごとにどんどん別物になってしまっています(ちなみに、劇場で毎度見ているぐらいには好きです)。

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 それを考えると、ストーリーには改変が必要であるものの通底するものがあり、ビジュアルもドットや3DCGのゲームから、実写+CGという感じに変化するものの概ね共通する感じにはなりがちだと思っていて、音楽もそのまま使い回せるそうな気がします(あまり使い回されているのは見たことがないですが)。ゲームの構成要素の中で、この辺はなんとなくゲーム由来にできそうだと思いつつも、最後の、ゲームがゲームたるゆえんであるはずのゲームシステムを映画の中に反映するというのはどういうことなのか?と考えてみると、僕には分からなくなってしまうのでした。

 

 ちなみに、ディズニーの「シュガーラッシュ」はゲームを題材とした映画で、多くのゲームのキャラクターが登場します。そこでは、ゲームの中のキャラクターとプレイヤーの関係性が、俳優とお客さんのような形で描かれており、ゲーム中の不具合の取り扱いや、アーケードゲームの栄枯盛衰、裏技のようなものなどを、オリジナルのストーリーをベースに巻き込んでいき、ドット絵を3DCGにした場合の表現や、8bit風の音の導入などが作り込まれていて、ゲーム(を題材にした)の映画化としては、僕が大変好きなもののひとつです。

 ここでは、ある種、ゲームシステムの映画への取り込みが成されていると考えられますが、ただし、メタ視点でのお話なので、単純にあるゲームを映画化したということとは異なるのではないかと僕は思っています。

 

 とはいえ、映画は映画、ゲームはゲームですから、映画の中でゲームのようにインタラクティブなものを再現することはできません。そこにどうやったらゲームシステム要素を足すことができるのだろうかとぼんやりと考えてみて、僕がひとつ思ったのは、ゲームには「ゲームの特徴」として、画面表示があるということです。ここで言う画面表示とは、体力ゲージや必殺技ゲージのようなもの、あるいは所持している武器の残弾数のようなものを指しています。

 これらはプレイヤーが現在の状態を把握するためのものであり、便利なものです。「ICO」のような情緒が大切なゲームや、初期の「バイオハザード」のように怖さを演出するため、あえて数値で正確に状況を把握させないという意図のあるゲームも中にはあるものの、大半のゲームには、今プレイヤーがどのような状態で、どのように行動すれば有効にゲームを進められるかの指針としての画面表示があります。

 そこで、映画にも、画面表示を足せばゲーム感が出て来るのではないかと考えました。

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 つまり、こんな感じです。ヤクザのおっちゃんが、カチコミに行く際に、現在の体力はどれぐらいであるか、どれぐらい怒っているか(最大値になると必殺技が発動できる)、どれぐらいの弾丸を所持しているかなどが、映画の画面上にオーバーレイ表示されているということです。これにより、ストーリー上の盛り上がりが従来とは別の方法で可能なような気がしないでもないように思いました。

 例えば、すごくピンチであることが体力ゲージの現象によって表現され、怒りゲージがもう少しで全部貯まることで、一発逆転ができるはずだ!もう少し耐えろ!というような気持ちを煽ることが画面表示によって可能になります。また、弾丸が徐々に減っていって、マズいということ、新しい弾丸を拾ってホッとするみたいなことが、役者の演技を使わずとも説明できるようになります。…それが本当に良いことかどうかは分かりませんが。

 

 別媒体ですが、漫画では「ダイの大冒険」がこのあたりを上手く取り入れていたように思います。ダイの大冒険ドラゴンクエストをベースにした漫画ですから、ゲーム的要素がその中に多く取り込まれています。幕間にキャラクターのゲーム的なパラメータが描かれたり、ボスから逃げられないとか、ボスが一人なのに複数回攻撃をしてくるということが、作中で自然に描かれ、なるほど、ゲームシステムとしてこうだったというのは、漫画にするとこのように描かれるのかと思わされました。

 特に、終盤のヒュンケルとオリハルコンのチェスの駒の戦士たちとの戦いが好きで、そこではキングマキシマムのスキャン能力により、ヒュンケルのHPが描写されます。HPの残りが少なく、死にかけているとうことが数字て示されることにより、少しのダメージが命に響くということが描写されつつつ、さらにそれを逆手にとって残りHPが1であり、カスリ傷ひとつでも死ぬような状態であるにもかかわらず、そこからさらに攻撃を受けても死なない。全身の骨に微細にヒビが入っており、動けるだけでも奇跡的な状況で、再起不能であることが確実なはずなのに、それでも残った闘志だけで戦い続けるヒュンケルの姿は、その姿だけでなく数値として「HP: 1」ということが表示されることによってより強調されることになります。

 なので、画面表示が映画の中に導入された場合、このような効果が映画でもでるのではないかと考えたのです。そういえば、映画の「逆転裁判」では、ゲームのビジュアルを比較的そのまま俳優に再現することで、実写にしては珍妙な髪型や服装が異様な雰囲気を醸し出していたものの、ゲームの裁判パートにおけるインターフェースが、映画の中の裁判ではホログラム的な表示として再現されることで、ゲームと映画の間を上手に繋いでいるように思いました。

 

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 画面表示が映画で再現されるとしたら、いっそ、敵を倒したときにコンボ数が表示されたり、それによって「実績のロックが解除(トロフィーの獲得でもいいです)」されたりもして欲しいですね(それに何の意味があるのかは不明)。

 

 ゲームの映画化と聞くと、自分が好きなあのゲームが映画になるのか!とワクワクしてしまうものの、ゲームの中でストーリーやビジュアルのようなものというのは、ゲームの楽しさの一部でしかなく、例えば、一切操作ができないゲームをただ見ているだけだとしたら、それはゲームとしては面白いものではないのではないかと思います(ある種、実況動画を見る行為と似ているかもしれませんが)。なので、自分がゲームをプレイしているときに感じた楽しさのようなものが、映画にも反映されているといいのにと思ったりしていて、それはどういうことなのだろうと思ったりしているというお話でした。

 

 そういえば最近、「テトリス」の実写映画化が行われるというような話を聞いたような気もしますがどうなるんだろう?という気持ちがすごくしますね。ゲームの映画化はこれからもどんどんされていくように思いますので、今後もどうやるんだろうと思ったりしていきたい感じです。