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「カリクラ」について

 モノローグの多い漫画を読んでいると、自分もその登場人物と同じ気持ちになったりします。最近も志村貴子の「淡島八景」を読みながら、歌劇学校の先生を長年続けるご婦人のような気持ちになっていましたが、はっと我に返ると、僕は30代のネットワークエンジニアであることを思い出すので、不思議だなと思います。

 モノローグにも種類があって、読者に語りかけるようなものもありますが、僕がここで言っているのは、登場人物たちが自分自身に言い聞かせているような内省的な言葉です。自分が置かれた状況や、自分が辿ってきた足跡を言葉に換えて、自分自身に確認しているような言葉です。それを読者である自分の中で再生することで、登場人物たちの感情をトレースするようになっているのではないかなと思いました。そうすることが心地よい漫画があります。それはつまり、共感しているということでしょう。立場も年齢も異なっていたとしても、何かしら心の中の構造のようなものが、理解可能で、そうすることが嬉しかったり悲しかったり、あるいは、そのどちらにも分類できなかったりするのではないかと思いました。

 

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 「カリクラ」は華倫変の初期の短編漫画が詰まった本です。全二巻、90年代後半にヤンマガKCで出版され、2000年代に太田出版から復刊されています。確か、僕がこの本を読んだのは高校生の頃だったので、90年代後半、出版されてすぐだったのだと思います。変な漫画だなと思いました。

 描かれているのは、主に性と暴力です。ストーリーはあるような気もしますが、ないような気がします。結局なんだったんだと思うこともありますが、それが心地よくもあります。多くの物語では、自分勝手な男が登場し、自分勝手ではない人たちがそれに巻き込まれる形で不幸になったりします。ここで、特筆すべきなのは、どう考えても救いのないようなお話であるにもかかわらず、悲壮感がないということです。あらすじを語れば、陰惨にも思える話なのに、心にあるのは、絶望と言うよりはむしろどちらかといえば希望と言っていいような何かです。

 ろくでもない状況が描かれます。それはろくでもない人間によって招かれたものです。その状況に相対した主人公の心情がモノローグや、2人だけの会話のような形で綴られます。その語りは、それらのろくでもない状況との間に薄皮一枚の幕を引いたように淡々と語られ、現実感を少し薄めているように感じました。つまりは、そうすることで、自分の内面を守っているということなのではないでしょうか。現実にもろくでもないことはありますが、それでも、人生は続いています。その薄皮は、ろくでもないことから自分を守る技術なのでしょう。そのときの思考回路が、共感するポイントなのかもしれません。生きていれば色んなことがあるでしょう。嫌なことも、すごく嫌なことも。でも、生きているんですよ。それは希望ということではないでしょうか。だから、やはり、これらの一連の短編の中で描かれているのは希望なんだと思っています。生きていく意志という意味です。

 それをそう感じるかどうかは、読んだ人のそれまでの人生に寄るかもしれませんが。

 

 幽遊白書の終盤で、躯が飛影の記憶に触れ、「お前の意識は今までオレが触れたものの中で、一番心地いい」と言います。そんな感じだなと思いました。物語にはAがあって、その結果Bがあって、その結果Cがあったというような展開があるのが一般的ですが、じゃあABCを把握すればその物語が分かるかというとそうでもないんじゃないかと思います。自分の中でAとBとCというものをじっくりなぞっていく過程で自分の中で再生される感情的な何かが、物語を読む意味のひとつであると思っていて、これらのお話の中で本筋に関係なく散漫に語られるどうでもいいようなことも全て、それがなければ成立しないものなのではないかと思います。

 そういえば、「映研」というお話の中では、岡田くんという人が「高橋名人はウンコでセミを捕ってたんだよ」という豆知識を披露するのですが、僕はこの話を長らく信じていたのに、どうやらガセ情報ということが分かって騙されたなあと思いました(調べてみると「ファミコンランナー高橋名人物語」という漫画の中で披露された創作エピソードだったらしいです)。

 

 ちなみに、ふと読み返そうと思ったのは、ゲームのスペースチャンネル5を久しぶりにやりたくなったのでやっていると、このゲームはざっくり言うと、掛け声に合わせてボタンを押すゲームなのですが、その「アップ、ダウン、レフト、ライト」のような掛け声を聞きながら、頭の中の記憶の扉が開いたからです。

 カリクラの2巻に「バナナとアヒル」というお話があるのですが、これは自分が男性であるということに疑問を持っている少年が、交換留学生としてやってきたゲイの男性スティーブに感化されるというお話なのです。その中で、主人公はスティーブに肛門を使った自慰行為を教えられるのですが、それが、消しゴム付きの鉛筆の後ろにオイルをつけて肛門に挿入し、「アップ、ダウン、レフト、ライト」と動かすというものであったのでした。その後、その行為にハマった主人公は、気がつけば時間を忘れて朝を迎えてしまい、そのことをスティーブに話すと、スティーブは「ソレハ、アナルマジック」とすっぱい顔をして答えます。

  スペースチャンネル5をプレイしながら、ケタケタと思い出し笑いをしてしまったので、読み返した感じですし、人生どの道が、どこに繋がっているかさっぱり分からなくて面白いなあと思いました。

 

 華倫変は残念なことに十年以上前に若くして亡くなってしまったのですが、もっと新作が読みたかったなあと思っています。