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【妄想】精神と時の部屋が作られた理由【考察】

 ドラゴンボールに「精神と時の部屋」という施設が出てきます。この部屋の中では時間の流れが早くなり、部屋の中で1年を過ごしても、外では1日しか経ちません。そのため、人造人間セル編の終盤では、時間が限られている中で修行をしなければいけない主人公の悟空たちはこの施設をいい感じに利用したりするのでした。しかし、そもそもこの施設は何のためにあったのでしょう?

 精神と時の部屋は神様の神殿の最下部に存在し、描写から類推するに、当代の神様が就任する以前からあったようです。ドラゴンボールの世界の神様は、 全知全能の創造主というよりは地球という星の統治者のような役職であり、代替わりをしながら受け継がれていくようなものなのですが、代々の神様が住む神殿に昔からこの施設があったのだとすれば、そこには、それが必要とされた理由があるはずです。

 

 参考のために精神と時の部屋の特徴を羅列してみると、

・外での1日が部屋の中での1年に相当する

・地球と同じぐらいの広さがある(何もない真っ白な空間)

・重力は地球の10倍

・空気は地球の1/4

・ 気温はマイナス40度から50度の間で変化

・生涯の中で48時間しか入ることができない

・定員は2名

・入り口は一つ、壊れると出ることができない

 

 改めて羅列してみるとかなり過酷な環境です。仕事をしていて時間が足りないときに、「精神と時の部屋に入りたい」なんてうっかり思ってしまうものですが、これを見ると、絶対入りたくない!!という気持ちを新たにしてしまいますね。そういえば、悟空も、何もしていなくても辛い環境なので、体を休めるためには入らない方がいいと言っていました。

 これらの条件の中で気になるのは、定員が2名というところと、48時間しか入れないというところです。これらにはこの施設の設計者の意図を感じます。ちなみに、魔神ブウ編では、この部屋に4人が入る描写がありますが、代々の神様の付き人をしているミスターポポが、セル編のあとに改造しておいたという裏設定があるそうです(出典はドラゴンボール大全集らしいですが未確認)。当初の僕の理解では、生活施設が2人分しかないという意味かと思っていたのですが、上記の裏設定が本当だとしたら、ますます、2人しか入れないということに製作者の意図を感じてしまいます。

 

 さて、少し話は変わりますが、「時間が加速させるための過酷な空間」と言えば、現実にも思い当たるものがあります。それは「加速劣化試験」です。これは、製品寿命を評価する際に行われる試験なのですが、例えば、製品寿命が10年と言ったとき、さすがに実際に10年使ってみて評価とするわけにはいきません。そこで、製品を劣化しやすい過酷な環境、例えば、高温や高湿度、紫外線、汚損、振動などの発生する環境に置くことで、意図的に短期間で劣化を進めることで製品の耐久性を評価することになります。それが加速劣化試験なのです。

 

 もしかすると、精神と時の部屋は、人間の加速劣化試験施設だったのではないかと僕は想像しました。

 

 つまり、人間を過酷な状況に追い込むことで、その劣化度合いを短時間で評価するのです。そう考えれば、あの施設はうってつけです。実際、若かりし頃の悟空はあの施設の中で気が狂いそうになり、1ヶ月しか持たなかったと言います。よほど強い肉体や強い精神を持たなければ、あの過酷な環境で正気を保つ事はできないのです。神様と合体したピッコロが言うところには、「あの部屋で1年間過ごし通せた者は誰もいない」のだそうです。

 では、なぜそんな極端な施設を使ってまで人間を評価しなければいけないか、それはきっと次代の神様を選ぶためではないでしょうか?

 清廉潔白で綺麗な言葉を吐く人間も、過酷で精神的に追いつめられるような生活を続けた後にも同じことを言えるとは限りません。就職後ほどなくして、死んだ魚のような目でネガティブな意見を垂れ流してしまうようになった新社会人も、もしかすると、就活の面接の時点では、目を輝かせながら、元気でポジティブな意見を言っていたかもしれません。平常時と極限状態では、生存するということに対する切実度が変わりますし、切実度が変わればその人の中での様々な優先順位が変わってしまいます。そうなれば、態度も変わるのが自然です。その変わり方に、その人の中での様々なものの位置づけが見えてくるということはあるのだと思います。ただし、非人道的な行為とも思いますが。

 神様になったナメック星人の心の奥底にわずかな悪も、極限状態で増幅されれば見えやすくなったのかもしれないのです。それは製品の基板のハンダ付けの雑さが、加速劣化試験の最中にハンダ割れとなって現れるかのように。

 

 このように、部屋の外からすれば僅かな時間で、人間を極限状態に追いつめることが可能なこの施設は、人を試すのにうってつけです。過去の神様たちは、このような中で正気を保ち続けるという試練を経ることで先代の神様に認められ、代替わりをしたのかもしれません。となれば、48時間という時間は、試験を何度も受けられないようにするための縛りと想像できますし、2人という制限は、神様と受験者、あるいは、2人の受験者を同じ環境に閉じ込めて競わせるという意味であると解釈することもできます。

 

 この説にも突っ込みどころは沢山みつかります。なにせ、神様がそこで試験を受けたと類推できる発言はありませんし、次代の神様となったデンデは、何の試験も受けていません。作中で見つかる情報を組み合わせて理屈を組み上げ、細かいところに目をつぶれば、このような解釈もできるというだけの話です。

 一方、作中以外の視点を持っていいなら、

・短時間でパワーアップをしなければいけないから時間が加速するとよい

・とはいえ、ずーっと修行されても困るので時間制限が必要

・定員を2人にすると、ベジータ親子と悟空親子で時間差をつけられる

・背景が白いと描くのが楽

・過酷な状況で、修行の厳しさを演出

 などというようにこちらもそれっぽい理由を挙げることが可能です。

 

 作中の描写を説明するのに、作中以外の都合という理由を持ってきてしまうと、ご都合主義っぽく感じてしまうのではないかと思います。それが良いか悪いかはどうでもいいですが、作中の描写だけで上手いこと説明できれば、良いとか悪いとかそもそも考えなくて済む感じなので、僕は読むときにはそっちの方を妄想したりすることが多いです。今回は、そういうときに僕の脳内だけで考えていることを外に出してみましたが、何でこんなことばかり考えているの??と聞かれると暇だからという答えしかないので、聞かないでください。