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評価の変換効率の話

 最近持っている雑な印象から、すげえ雑な話を書きます。「すげえ雑な話を書きます」なんて最初に書くということは、あらかじめ弱点を自分で書いておくことで、雑なのはちゃんとわかってるからことわざわざ「雑な意見だ!」とか同じことを書いてこないでくださいね!という意思表明ですし、心の弱さだと思います。人間は弱いぞ!いや、主語が大きいという批判をおそれて、僕は弱いぞ!と言い替えます。

 

 さて本題ですが、何か価値のありそうなことをすると、他人に良い評価をされたりします。評価のされかたは様々で、称賛の声のこともあれば、お金のこともありますし、はたまた次の仕事であったりもします。SNSでは、Facebookの「いいね」であったり、TwitterのfavやRTであったりもします。何を使って評価されるかということは、それが何の場であるかということに概ね依存しており、そして、その場が変えて評価を持ち越そうとすると、「変換効率があまり良くない」ということが一般的ではないかと思っているのです。

 

 例えば、Twitterでの評価はfavやRTの数で定量評価できると思いますが、これを持ってして別の場での評価に変えようとすると、その結果にがっかりするのではないかと思います。より直接的に言えば、それらは大したお金にはならないということです。

 発電機で、回転のエネルギーを電力に変換しようとする場合、回転をさせるために使った物理的なエネルギーの多くは熱などになってしまい、目的である電力になるのは半分以下だったりします。回転エネルギーを効率よく使いたいならば、物を回転させるということ、それ自体に使うのが一番得で、そうでないものに変換しようとしても一部しか活用できません。このイメージと「評価の変換効率」のイメージが似ているのではないかと思ったということなのでした。

 そんな無駄を承知で電力に変換するのは、電力が他のエネルギーに変換しやすい、汎用的に使えるものであったり、物理的なエネルギーよりは、長距離の伝送に向いていたり、さらに効率は落ちるものの、電池などに蓄積できたりなどと色々な良いことがあるからです。これに似たものと言えば、そう、お金ですね。

 お金は他のものに変換しやすく、時間や場所を超えて利用出来たりと色々と便利ですから、人間はできるだけ自分の受けた評価をお金に変えておきたいと思いがちなのではないでしょうか。

 

 何が言いたいかというと、お金を儲けたいならば、主にお金で評価される場所でそれをやるのが効率がいいので、お金以外の評価が一般的な場所で頑張っても、目的を達成するのが遠いのではないかということです。反面、お金が目的でないのであれば、お金で評価される場所では逆に満たされないかもしれませんし、それをお金で埋めようとしても、今度はお金を他の何かに変える変換効率の悪さが、悪さをする可能性もあります。

 端的に言えば、1万RTされても100円にしかならないかもしれませんが、その場合、逆に100円払えば1万RTされるか?と言えばそうではないということです(数字は適当)。そこには相互に非対称性が存在し、それらの変換効率を認識しておくと、なぜネットでウケているのにお金にならないのか?とか、なぜお金をかけてもネットで話題にならないのか?などの疑問が色々クリアに整理できるように思っているのです。

 

 ちなみに、評価をお金に変える仕組みというのが「会社」です。そして、これは稀有な存在なのです。評価を集めてもお金に変換するのは普通はとても難しい。なぜならば、お金というのは、人工的なものなので、人間の行動それ自体はお金ではありませんし、あらゆるものから何かしらの変換を受けないと生まれ得ないものだからです。なので、「会社」という、その仕組みは自分で作ってもいいのですが、多くの場合は、他の誰かが作った既に上手くいっている仕組みの中に入ることで、それを達成しようとします。それは就職と呼ばれています。

 前述のようにお金を儲けたければ、お金で評価される仕組みの場所でやった方がいいですし、その「場」の多くは「会社」と呼ばれています。なので、僕はお金を儲けたいときには会社でそれをやりますし、それ以外の場所では特にお金を儲けることを考えずにやっています。後者を頑張るのは大変効率が悪いから、やりたくないのです。

 ただし、変換効率が悪くても、大量のリソースを投入すれば、それなりにお金に変換することは可能です。しかしながら、人間一人のクリエイティビティでは大量生産は難しいので、つまりは、他人が作ったものの元締めになること、あるいは、それらを勝手にパクってくることによってなら達成できる可能性があります。

 インターネットは成り立ちの時点でお金が介在しにくい領域なので、そこでのマネタイズは雑に言うと、上記の方法で成されてことが多いのではないでしょうか?

 

  また、このように、変換効率なんてものを考え始めてしまうと、変換しないのが一番効率がいいのではないの?という話になると思います。そして、それはその通りだと思います。例えば、家庭では家族が家事を分担するものだと思いますが、それをいちいちお金に変換するということはあまりやりません。それをいちいちするのは、例えば評価基準の作成や、達成度の評価、その妥当性の検証などを含むために、余計な仕事が増えますし、効率が悪いからです。持ちつ持たれつの間柄でどんぶり勘定をしているのが、全体としてのオーバヘッドが一番少なく、効率が良いです。ただ、お金という色んなものを数字にしてくれるものが介在しないことで不公平も生まれやすいかもしれません。

 このような考え方を社会全体に拡大したものが「評価経済」と呼ばれているものだと思います。そして、その「評価経済」が素晴らしいと考えられるのは、従来は効率の面からお金に変換できなかったものを、そもそもお金を使わないことで意義のあるものにしていこうという試みだということだと思います。

 しかしながら、回転力を電力に変えたくなるように、評価を評価のままで使おうとすると汎用性に欠けてしまうために、それはおそらく小さなコミュニティでしか成り立ちません。社会全体に適用するためには、それらをよりマクロに拡大するための仕組みが必要になるはずです。ただし、それを数字でやろうとした瞬間に、それに付随する面倒さ加減は、お金とほぼ同じものになってしまいますから、同様に変換効率が落ちるだろうので、良さが消えてしまいます。

 このような諸問題を解決しない限りは、評価を集めればお金がなくても生きていけるというようなことは、より多くの人に既に知られている有名人以外に適用するのは、現実的ではないように思いました。

 

 散漫になりましたが、まとめると今回言いたいことは以下4点。

(1)自分が何を使って評価されたいかを考えて、適切な場所を選んだ方が良い

(2)目的がお金である場合、適切な場所というのは概ね既存の会社

(3)適切な場所が選べない場合でも、大量のリソースを無駄に変換できればイケる

(4)評価は変換を挟まないで使えると効率が良いが、それは社会全体ではまだ無理げ

 

 こちらからは以上です。