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「善人シボウデス」と善人ぶりたい僕について

 最近、再度「善人シボウデス」をクリアしたので、それについて書きます。シナリオの根幹には触れませんが、いくらかのネタバレを含みます。


善人シボウデスとは?

 ノベルゲームと脱出ゲームが合体した感じのゲームで3DS版とPS Vita版が出ています。僕がプレイしたのは3DS版、発売日に買って一回、今回で二回目クリアしました。ちなみに、ノベルゲームとは、文章を読んでいくうちに選択肢が出てきて、プレイヤーの選択に従ってシナリオが分岐していくというようなゲームで、脱出ゲームとは、ある密室に閉じ込められたというシチュエーションで、そこにある道具を利用したり、パズルを解いたりして脱出するという感じのゲームです。

 本作は「9時間9人9の扉」というゲームの続編であり、そちらも同様のシステムです。シナリオの繋がりがあるので、本作をプレイする前にプレイしておくとより楽しめます。


ゲームシステム雑感

 ノベルゲームはバランスが難しく、選択肢が多すぎるとシナリオの分岐が複雑過ぎたり、意味のない選択肢が増えたりしてしまいますし、少なすぎるとただ読んでいるだけになってしまうと思います。また、選択肢をどのように提示するかにもこだわりポイントがあるような気がしていて、あまりにもあからさまに提示されると読み進める作業が一旦止まってしまいますし、情緒ある文章の中にそれが入ってくることで風情がなくなったりするかもしれません。なので、例えばシュタインズゲートでは、携帯電話に届くメールの返信という形で割り込み処理として分岐を提示したり、街や428では、同時に進行する複数のシナリオからザッピングという形で影響を受けるなどの様々な工夫が施されています。

 本作でのシナリオ分岐は、基本的に読み進める文章の中には存在せず、作中で提示される「囚人のジレンマ」をベースにしたゲームで「協力」と「裏切り」のどちらを選ぶか、また脱出ゲームの密室に通じるどの扉を選ぶかが分岐のポイントとなっています。なので選択をするタイミングは限られていますし、シナリオのフローチャートはツリー状でシンプルな構造です。このシンプルさに頭の体操的な脱出ゲームが合わさることで、ただ読んでいるだけにはならないゲームのリズムが構築されているように思いました。

 本作の特徴としては「形態形成場」というものがあります、これは前作のシナリオの根幹に関わった概念ですが、人間の集合的無意識のようなもので、遠くに離れた人間同士がこの場を経由して情報を共有することができるというものです。これと、選択肢によって分岐するパラレルワールドの概念により、あるシナリオの中で登場した情報を、別のシナリオの中で使うということができるようになります。つまり、形態形成場というのはプレイヤー自身のことです。例えば、シナリオAでは登場しなかったパスワードが、シナリオBで登場した場合、作中のキャラクターは知らずともプレイヤーは知っていますから、シナリオAにおいてそのパスワードを入力することが可能になります。これがゲーム内に明示的に盛り込まれることで、作中の主人公たちは、それを知覚し、利用するというお話となるのでした。これを利用したシナリオがまた面白いのですが、ネタバレになるのでこれ以上は書きません。

 あと、3DS版だとゲーム内のメモが備え付けのペンでゲーム内に書いておけるので、少々面倒くさい考えをまとめないといけないときや、憶えておかないといけない文字や数字の羅列を書きやすくて良かったです。Vita版はやってないので知りません。


ゲームの設定について

 謎の施設に集められた9人の人物が、数字の表示された腕時計を付けさせられ、「囚人のジレンマ」をベースにしたアンビデックスゲームを強要されます。アンビデックスゲームとは2組のプレイヤーに「協力」と「裏切り」の選択肢が提示され、「協力」「協力」であれば双方に2ポイント、「協力」「裏切り」であれば、裏切り側に3ポイント、協力側に-2ポイント、「裏切り」「裏切り」であれば双方とも0ポイントという計算がされます。そして、数字が9を超えると脱出でき、数字が0になると死亡となるのでした。

 理想的に考えれば、お互いに「協力」し合えれば全体として最も効率よいはずですが、個人で考えた場合には「裏切り」が効率よくなります。なぜなら「協力」と「裏切り」が半々の確率で選ばれるとすると、「協力」の期待値は0、「裏切り」の期待値は1.5となるからです。相手に出し抜かれる可能性を考えると「協力」を選ぶことは難しく、しかし、そうなると結果的に全体の利益は最小になってしまうかもしれません。このジレンマに命がけで挑むのが本作なのです。


面白かったポイント

 今回、再プレイしたことで分かったのは、これをプレイしている最中の自分の善人ぶりたさです。

 最初のプレイのときには、相手を信頼する「協力」を選んでシナリオを進めることになりましたが、今回はあえて「裏切り」ばかりを選んだプレイをしてみたのです。するとどうなったかというと「胸が痛い」。相手を裏切る前に、相手が自分に向けた「信頼感」が、相手を裏切った後に、相手が自分に向けた「怒り」「恨み言」「悲しみ」が、自分に突き刺さってきます。前回のプレイではこれに負けてしまったのでしょう。ゲームのシナリオは虚構ですから、裏切ろうが裏切るまいがどうでもいいかもしれませんが、自分が責められているような言葉を聞くのが辛いので、まず協力してから、「シナリオを進める上で仕方ないんや」という免罪符を手に入れて裏切りを選んだり、相手に裏切られたので、「仕返しても罰があたるまい」という免罪符を手に入れて裏切りを選んだりしていたのです。無意識に。

 しかし、今回は悪者になる気まんまんですから、裏切ると決めているのに、でもやはり手が止まってしまうことがあって、ああ、僕は善人ぶりたいのだなあと思いました。作品のタイトル通りですね。善人志望です。

 ここには二つの評価軸があります。腕時計の数字を増やしてクリアしたいという即物的な欲求、そして、他人と信頼関係を構築して良く思われたいという社会的な欲求です。これらが矛盾したときに、人はどちらを選んでいいか分からなくなり迷ってしまいます。なので、相手を裏切って即物的な利益を優先していい理由を得ようとしてしまうのではないかと思いました。

 即物的な利益のために他人を犠牲にしても胸が痛まないのが悪人です。僕は悪人にはなりきれません。しかし、それは手放しに良いことでしょうか?世の中には、他人に良く思われたいがために犯罪を犯す人もいます。このゲームの中ではたまたまそうではないだけで、誰かに信頼されたいという欲求に抗えず、自己の即物的な利益を犠牲にすることで不幸に転げ落ちる人もいるでしょう。社会的な欲求が非常に強く、選択肢があるようでないのはある種の問題です。善人なのではなく、善人という生き方が自分にとって一番無理がないというだけだからです。それは、もしかすると悪人も、悪人という生き方が無理がない状況にいるだけなのかもしれません。人間が善人か悪人かというのは、ただそう観測されているというだけで、中身を見てみるとそれぞれ同様に与えられた環境の中で、最適な解を選んでいるだけかもしれません。

 本作では、選択肢が限られている分、「協力」と「裏切り」の選択がとても重要な意味を持っています。そして、その結果、人が死んだり、諍いが起こったりもします。同じメンバーなのに、全員が「裏切り」を選んでしまう地獄のような「状況」に陥ってしまったり、全員が「協力」を選べる心温まる「状況」になれたりもします。これは架空の物語ですが、その中で能動的な「決断」を求められることで、プレイする中で自身の経験を振りかえるきっかけになります。例えば、自分が他人に嫌われることを怖がっているだけの人間であり、そんな自分にとって一番やる気がなくても順応できる「外からは善人に見える行動」をとっているだけではないのか?などです。そして、内心がどうであろうと、善人のように振る舞えば、周囲から見れば善人です。善人が集う場所は、ゲームの設計とプレイヤーの特性が、善人という行動に最適化されているだけかもしれません。そして悪人もまたしかりです。

 多くの選択は選んでいるのではなく、状況に選ばされているのかもしれません。そしてそれはきっとそういうものなのだと思います。これはあるいは「妖怪」と呼んでもいいのかもしれません。その立場になれば、誰しもその選択をしてしまうのであれば、原因は人間の心にあるわけではないからです。人間の努力で解決するのではなく、妖怪を祓う必要があります。仕組みを変えるということです。人間は自分で思うほどには自由な選択はできない。そんなことを思ったりしました。

 

最後に

 プレイしていると、どうしてもこちらの選択肢を選びたいが、そうはしないと最初に決めたのだった!どうすれば!?という状況に遭遇することがあり、僕は大変面白く感じましたので、この文章を書きました。

 また、今回は書かなかったシナリオの面白さなんかもあるので、未プレイの方はプレイしてみるのもいいのではないかと思います。そして、本作の最後は次回作に繋がる気満々で終わっているので、すごくやきもきしていますし、発売から数年経っているので、そろそろ次回作の発表があってもいいのでは??と期待しつつ、一緒にやきもきしましょう。