漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

絵を描く趣味の話

 子供の頃から絵を描くのが好きです。なので、紙と鉛筆があると絵を描くことが多いです。学校に通っていたときは紙と鉛筆が常に目の前にありましたから、授業中に絵を描くことが多かったです。働き始めてからは、紙と鉛筆を目の前にすることが減りましたから、以前ほどは描かなくなりました。でも、今でもたまたま紙と鉛筆があるときは、絵を描き始めます。

自分の描く絵について

 僕は自分が絵が上手だとは思いません。なぜならば描けないものが多いからです。描けないものが多いというのは、つまりは描きたいものしか描いてこなかったということでしょう。描きたくないものを頑張って時間をかけて描いた経験があれば、それはきっと段々と描けるようになるのだと思いますが、僕はそういう時間を上手になることに見合うだけとってこなかったので、描けません。専門的な教育を受けたり、本を読んだりもしていません。なので、いまだにパースとか構図とかよく分かりませんし、パースとか構図とかに凝った絵は描けませんから描きません。ですが、絵の良いところはパースとか構図に凝れなければ、ただ凝らないい絵を描いていればいいということだと思います。
 僕は自分の描く絵が好きです。なぜならば、僕の絵は全てパクりの結果だからです。僕は自分が好きな漫画家やイラストレーターの絵柄の好きな部分をパクって絵を描いていますから、言うなれば自分の描く絵は自分の好きな物のごった煮です。好きな物が全て詰まっていますから、僕は自分の絵がとても好きですね。ただ、それは僕の好きなものがごった煮になっているので、僕と好みの違う人は好きでないだろうと容易に想像ができますし、だから、自分以外の誰かに好きと思って貰えなくてもそんなものだと思っています。
 実際、僕が自分の好きな絵を描いていると、気持ち悪いとか言われることも昔から多々ありました。でも、それは仕方ないだろうなと思います。育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めないのです。わざわざ言われるのは嫌ですが。

絵の描き方について

 彫刻の人とかが、「石の中にいるものをただ掘り出しているだけ」みたいなことを言うのを読んだことがありますが、それはすごいなあと思う一方、僕にはできないなあと思います。なぜならば、自分の描く絵は、描く前になんとなく想像したものと、実際描いたものが全然違うことが多いからです。

 頭の中にあるものの精度が高く、そして、それを再現するために実際引いた線が一致する人であれば、ただそれをなぞるだけでどんどん絵ができていくのかな?などと想像するのですが、僕の場合は頭の中の想像がぼんやりとしていて、そして実際に引いてみる線がそれとすら一致しません。なので、一回線を引くたびに、その精度の低い線をベースに次の線を引くことをしなくてはいけなくなりますから、絵の全体像は一手ごとにどんどん変わってしまいます。たまたま引けた線をベースに相対的にバランスを取りながら描き進めるので、出来上がったものは細部ではバランスがとれているものの、全体で見ると破綻してしまっていたりします。

 頭の中の線を再現できる人を絶対的な絵を描いていると表現するとすれば、僕が描いているものは相対的な絵です。なので、描くたびに出来不出来がばらつきますし、たまたま偶然に引けた良い感じの線のおかげで、自分の地力よりも良いと思える絵が描けるときもあります。相対的な絵は大体全体のバランスが崩れますから、最初にちゃんとアタリをとっておくと、破たんが最小限に納められるという気がしますので、下描きが大事だなあと思う一方、線を消したりするのが面倒なので、最初からペンで絵を描いてしまったりもしますし、出来上がったものは大体いつもごちゃごちゃしています。

パソコンがグッドな話

 僕の絵は雑で下手ですが、雑で下手な人間にとって福音とも言えるものがコンピュータだと思いました。僕は最近はパソコンで絵を描きますが、これは僕の雑さを減らし、下手さをカバーしてくれます。なので、雑で下手な絵を描く人は、パソコンを使うのがとても良いと思います。

 なぜパソコンが良いかというと、レイヤーが分けられることと、UNDOでやり直しができること、あと白い線が引けることがあるからです。レイヤーで分けることで、下描き線をわざわざ消さなくても絵が描ける感じになりますし、先ほど書いたようにたまたま良い絵が描けるかどうかは、たまたま良い線が引けるかにかかってくると思っていますから、UNDOができればそのチャレンジが何度もできます。確率的な問題は、試行回数を増やせば良い感じになりますから、UNDOによって何度もサイコロを振れるならば、確率的に良い絵がかけるようになります。最後の白い線が引けるのはとても重要で、雑な線ははみ出したり太くなり過ぎたりしますから、修正が必要なのですが、物理的な紙の上で楽に白い線を引くのは難しいですから、気を使います。しかし、パソコンでは黒い線を引くのも白い線を引くのも同等の勝手となるので、大変楽に感じます。

 だから、雑で下手な絵を描く人は、パソコンを使うと地力よりグッドな絵が描けたりするんじゃないかと僕は思います。

苦手な話

 昔からですが、創作界隈には「何か物を作っている人間は、批判も聞き入れなければならない」みたいな感じのことを言う人がいて、そういうのがとても苦手に感じます。何かを人の目に触れるところに出してしまった以上、誰かに何かを思われるのは仕方ないって部分までは仕方ないと思っているですが、なぜその他人の意見を聞き入れなければいけないのかがわかりません(そういうのを強要する人がいます)。なぜ理解できないかというと、それに対するその人の意見はその人の価値観によって行われているだけなので、それを受け入れるということは他人の価値観で自分の物を作るということになりますから、自分の価値観よりも他人の価値観を優先するということですし、そんなものは大変ダルいので、お金でも貰わないとやりたくないです。

 僕の絵は僕にとってだけは最高ですし、描くたびに何か改善されていくので、大変楽しい行為ですが、こと他人の価値観への対応を考え始めた時点で、大変面倒な行為に変えられてしまいます。それをやった結果、喜ぶのはその人であって僕ではないのですから。その他人に受け入れられたいために絵を描いているならば、それは必要なプロセスと理解しますが、そうでないなら、聞く必要なんてきっとないのだと思います。というか、そう思っていないと僕は何も描きたくなくなってしまいます。

まとめ

 僕は他人が作ったものを消費するのが好きなので、基本的にそれをしていますが、自分で自分のために何かを作って遊ぶのも面白いので、何か理由をつけてそっちもやろうと思っています。ただ、他人の評価を受けるのが苦手過ぎるので、それを外に出すのを今までずっと避けていたのですけど、年齢を重ねることによって、他人に何かを言われても聞き流せる力が育ってきたので、ちょっこしそういう活動もやろうかと思った最近でした。

 絵でなくてもなんでもいいですが、何かを作って、それを改善する過程で自分の能力も改善されていくということ自体がとても楽しいことだなあという根本的なことを再認識したのですが、なぜ嫌な気持ちを一時期持っていたかと思い返してみると「創作とは何か??」とか、「そんな態度でやるなら創作なんてやめてしまえ!!」みたいな創作論を言ってくる人が記憶の中に沢山いて、そういう人たちと接しても、外に出すやる気が削がれるだけだったなあと思ったので、最近その種の呪いが薄れてきた結果、そういう人と話なんかしなければよかったなあとか、趣味において他人の意見を聞く必要なんて全くなかったのになあとかを今になって思いました。