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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

結論ありきの物語と、そうでない物語

 他人と交渉をするときに僕が良くないなあと思っているのは、結論ありきの議論をしてしまうことと感じています。結局、結論が決まっているのであれば、四の五の言わずにやれ!と命令するのと実態は変わらないのに、あたかも自分が相手の立場に理解があるように振る舞うことが余計に邪悪な感じがするからです。

 仮に会社を辞めたいと言う若い社員が相談してきた場合、普通に考えれば管理側の人間としての結論は「辞めない方がいい」にしかなりません。なぜなら、辞められると自分の評価が下がってしまったり、人手が足りなくなってしまったりするからです(時と場合にも寄りますが)。しかし、「辞めない方がいい」という結論に導くために、相手の話を聞き、結論を誘導しようとすると、失敗することも多いと思います。なぜならば、辞めたい側からすれば、自分の事情なんてどうでもよく、会社側は「辞めない」という結論に至ることを目標としているということが読めてしまうからです。こういうとき、その場では説得が成功してとりあえずの「辞めない」という結論に妥結したとしても、人間的な信頼関係は壊れてしまうのではないかと思います。結論ありきというのは、結局のところ、こちらの事情を相手に押し付けているに過ぎないからです。なので、この場合とりあえず結論は一旦保留にしたままで、相手の言い分をしっかり聞き、それに寄り添うことが下準備として必要であると思っているのですが、そう思ったからといって色々と上手くかと思えばそんなに簡単ではありませんね(経験談)。人間同士の関係は難しい。

 

 で、話は飛ぶのですが、漫画などの物語についても似たようなことを感じることがあります。具体的には、物語の流れに結論があるあまり、登場人物たちがその通りに無理矢理動かされているのではないかと感じてしまうということです。物語がそういう展開を始めたとき、僕は夢中になって読んでいる状態から急に冷めてしまうことがあります。それは描き手に不誠実を感じるというよりは、全員が同じ方向に動いていることを知覚することで、先が読めてしまう(と感じてしまう)からです。先が読めてしまうとしたら(それが勘違いだとしても)、それ以上読む理由が薄れてきてしまいます。例えば、どうせこの主人公はこの試合に勝つのだろうということが分かっていると、勝つか負けるかをポイントにして、試合の先を楽しみにすることができなくなるからです。

 島本和彦の「燃えよペン」では、アタリにそのままペンをを入れてしまえとか、デッサンが整っていたら逆に崩してしまえというようなメッセージが描かれていました。最初に描いたときの勢いのようなものは、何度も調整した結果の整ったものよりも力強い!ということだと僕は解釈しました。そして、それとは違うような気も若干するのですが、魂的には似たようなものなんじゃないかと思っているのが、キャラクターが意志が感じれるほどに十分立っているときに、そのキャラクターの性格であれば、そうはしないだろうというか、「飛影はそんなこと言わない」というか、別の方向に行きたそうにしているのを無理矢理、ストーリーの整合性に合わせて行動させてしまうと、そこに込められたパワーが何らか失われてしまうのではないかということを感じたりします。

 

 登場するキャラクターたちがありのままに行動した結果としての物語と、最初から話の筋の結末が決まっていて、そのための要素としてキャラクターが配置される物語では、個人的な好みとして、前者の方がワクワク感が高く感じてしまうのですが、それを説明するとすると、前者は作者すら着地点が分かっていないからで、だからこそ、読んでいる僕自身も、この物語がどこに到達するのかが予定調和とならずにワクワクできるのではないかと思いました。ゲームで喩えるならば、前者はシミュレーションゲーム的と言えるかもしれません。後者は一本道を攻略するタイプのものです。双方得手不得手があるので、どちらが良いというわけではありませんが、個人的な好みは前者であることが多いです。

 

 さて、僕は「HUNTER×HUNTER」がとても好きなのですが、この漫画の面白さの中には、そういったシミュレーション的な部分にあるように思います。この漫画がどんな漫画(と僕が捉えている)かというと、シミュレーション的な会話劇と感じます。ここで言う会話というのは「言葉」に限らず「行動」である場合もありますが、あるキャラクターが「言葉」を発したり「行動」をとった場合、別のキャラクターがそれらを受けて、また別の「言葉」や「行動」を返します。それらは、ある結論のために並べられているわけではなく、それらのシミュレーションの結果、物語が進んでいるように感じるのです。

 例えば、キメラアントの城に突入した後の展開は特にそうで、それぞれのキャラクターたちがそれぞれの思惑の元に行動しますが、誰かの考えが正しくその通りになったというわけではありません。それぞれの思惑はある部分では実現し、ある部分では失敗しています。そして、物語の結末はそれらの集積の結果となったのでした。これが作者がどの時点でどの程度意図した結果なのかを僕は知るすべはありませんが、ここで積み上げられていた物語構造は、結末までの一本線の周辺に単純に配置されたものと思えず、なぜならば、要所要所のタイミングで僕が想像したこの物語の結末がどんどん変わっていく感じであったからです。毎回読むたびに想像上の結末に修正が入るために、次回が楽しみになるという構造であったように感じました。

 最近、再開された後の展開もそうですが、物語はいっそう複雑化していて、沢山の登場人物たちが同時並行で会話劇を繰り広げています。それぞれのやりとりは何かの目的に向かっているのではなく、その場で完結しているように見えて、繋げてみると状況は刻一刻と変化し、どこかに向かっているように思えます。しかしながら、僕の想像力ではそれがどこかがまるで見当もつきません。だからこそ、毎回楽しみに読んでいるような気がしました。

 

 作者の冨樫義博氏はサボっているかのようにネットで言われていることが多いですが、こういった物語の作り方には非常に時間がかかるのではないかと思っていて、ずっとサボっていた人がいきなり作れるようには思いません。なので、真相は全然分からないのですが、きっと2年休載していたのであれば、2年サボっていたというよりは、この物語を作るのに2年かかってしまったのではないかと思ってしまいます。

 ストーリーが予め決まっている方が楽なので、普通はそうされることが多いと思います。例えば、ドキュメンタリー的な映像作品を実際に自分で作ってみると分かりますが、取材の前にストーリーが決まっていれば、それを補強するための必要なシーンだけを撮ることができれば完成させることができます。しかし、ストーリーがない状態でそういうことを始めてしまうと、使うかどうかも分からないあらゆる映像を押さえておく必要があり、また、膨大な映像を編集する中でようやく一つの流れを描き出すことになります。こういった方法は長い時間と手間となにより予算がかかってしまいますから、テレビの取材なんかでは先方の用意したストーリーのままにこちらの事実が歪められてしまうこともままります。なぜならそちらの方が作り手にとって楽で安いからです。

 

 結論がありきではないシミュレーション的な物語は、作るのがとても難しいと思う一方、簡単には先の展開を読むことができず、情報密度もいっそう濃いものになってすごい面白いのではないかと思っていて、それ(HUNTER×HUNTER)をほぼ毎週読むことができている今というのは大変良い期間だなあと思いました。

 

 さて、この文章自体、最初書こうと思ったことと全然違うことを途中から書いてしまい、全然思った結論と違うところに着地してしまいました。僕は面白かったですけど、みなさんはどうですか?面白くなかったのならごめんなさい。ここまで読んでお疲れさまでした。