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「月光条例」のオオイミ王について

 「月光条例」の最終巻が発売され、あとがきや単行本描き下ろしの最後の部分などを堪能し、大変面白かったなあと思いました。ひとつ引っかかっていたのは、最後までこの作品のラスボスであるオオイミ王とは何であったのかというのが、自分の中で色々とっちらかっていたままであったのです。なので何回か読み直して自分の中で整理できたような気がするので、それを書きます。

 

(以下、例によってネタバレ満開になりますが、僕の偏見が強いので、できれば漫画を読んでから読んでもらった方が良いと思います)

 

 さて、オオイミ王の登場は割と唐突です。アラビアンナイト編が終わったあと、おとぎばなしを消し去ろうとそそのかした人物として、おとぎばなしを狂わせる青い月の世界の住人が登場することになり、そんな彼らの王こそがオオイミ王です。月光条例はおとぎばなしの住人が青い月の光を受けることで、その物語の中での役割を逸脱して暴れまわる話なのですが、この青き月世界の住人たちは、これまでのエピソードと異なり、おとぎばなしの世界の住人ではなく、彼らの名前やビジュアルイメージなんかも、何か元ネタがありそうに見えつつも、何も元ネタがないというような作りになっています。彼らの世界では「虚偽は罪」、彼らの世界は物語を否定することで成り立っています。

 一方、月光条例の世界において、「かぐや姫」は実際に起こった出来事として存在しています。青き月世界の住人は、かぐや姫を地上に遣わした存在であり、地上で太陽の力を存分に吸収したかぐや姫は、その千年の罰の果てに月世界に舞い戻り、エネルギー源として利用されるという不幸な運命を背負っているのです。こう考えると、月光条例のベースとなる世界自体が、実はかぐや姫の物語を下地にした拡張として考えられ、虚偽を禁じた月世界の住人もまた物語世界の住人であるという、メタ構造のようになっています。当然漫画のキャラクターなのですから、そりゃそうだという話なのですが、この構造自体は割と重要なのではないかと思いました。オオイミ王は物語を禁ずる存在という物語の登場人物なのです。

 

 オオイミ王は月光条例の世界の中で当初単純な「悪」として描かれます。「悪」とは何かというと、ここでは自己の利益のために他者を犠牲にする者ということです。彼は、かぐや姫の犠牲のもとに、月の世界の繁栄を維持しようとし、そして、月光条例の中に登場した沢山の物語の登場人物たちの存在を、自分たちの正しさのために否定しようとします。そして、その結果、オオイミ王率いる月世界の住人たちと主人公である岩崎月光、そしておとぎばなしの登場人物たちの総力戦が始まるのでした。

 

 この時点でオオイミ王はただの悪として描かれていますが、戦いがオオイミ王vs岩崎月光となったあたりで少し変化が見られます。オオイミ王は月光との戦いを望んでいるのです。彼はヒーローになりたがっていました。ヒーローになるには倒すべき敵がいます。彼が思うに、敵として月光は最適でした。周囲の制止をものともせず、彼は月光と戦うことを選びます。そんな戦いのさなか、彼が口にするのは、物語のヒーローの必殺技でした。ウルトラマン仮面ライダーをはじめとした特撮から、イデオンなどのアニメ、作者の自作であるからくりサーカス、そしてワンピースや聖闘士星矢などの他の漫画、物語を否定する存在であるはずのオオイミ王はそんな物語の主人公になりきり、その力を振るいます。

 オオイミ王は物語を否定する世界に育ち、誰よりも物語を否定しなければいけない存在でありながら、誰よりも物語の主人公に憧れた存在であったことがここで分かります。そんな彼が、自分自身を物語の主人公のようにするために選んだのが月光です。しかし、彼は知っていました。誰よりも岩崎月光を見てきたからです。おとぎばなしの住人達に降りかかる理不尽を跳ね飛ばすために不器用に戦ってきた月光の姿をです。それは彼が理想とするヒーロー像そのものでした。オオイミ王はヒーローになりたかったのに、ヒーローにはなれません。月光条例におけるヒーローとは誰か?それは岩崎月光です。なぜならば彼は主人公だからです。

 

 雑誌での初読の際に、オオイミ王に対して持った違和感は、彼の行動の一貫性のなさでした。誰よりも物語に憧れているのに、彼は物語を消し去ろうとしています。彼はヒーローになりたがっているのに、おおよそヒーローにはなれない行動をとります。彼はとても強いのに、とても儚く見え、彼の言葉は強いのに、ある種の悲鳴のように聞こえました。矛盾しているように見えるのでつかみどころがありません。つかみどころがないのは、おそらく彼自身の葛藤があったからなのではないかと思いました。彼が背負う役割と、彼が望むことの間にです。

 

 オオイミ王が背負う役割とは、滅びつつある青き月世界を存続させること、青き月世界では虚偽は罪であるということ、だからこそ、彼は沢山の犠牲を生み出しながらも、かぐや姫を犠牲にし、物語の住人を抹殺しなければなりません。にもかかわらず彼は物語の主人公に憧れ、物語の主人公になりたかった。そういう綱引きがあったのではないかと思いました。その結果が、彼の不可解な行動ではないかと。オオイミ王が悪であるのは何故か?それは月光条例の世界において、彼に悪という役割が与えられたからです。悪という役割が与えられた以上、彼に許された振る舞いは悪でしかありません。そして悪が存在するのは何故かといえば、この月光条例という物語が悪を必要としているからでしょう。

 それはつまり、「マッチ売りの少女」が物語の結末、極寒吹きすさぶ冬の夜に、ひとりで死ななければならないということと同じです。オオイミ王という存在は、この月光条例という物語の幕引きに必要であるからこそ生み出され、その役割を全うしなければなりません。そして彼は見事に全うしてのけます。しかし、それは彼にとって理不尽で暴力的でさえあるかもしれません。

 

 月光条例の主人公、岩崎月光はもともとは「青い鳥」の主人公チルチルでした。彼は青き月の光を受け、物語の制約から解放されたのちに、その世界を渡ることのできる帽子の力で沢山の物語の中を渡り歩きます。そして、彼は「マッチ売りの少女」そして「キジも鳴かずば」のように、ただただ可哀想な結末を迎える物語に憤ります。チルチルは、「マッチ売りの少女」の作者であるアンデルセンの元に行き、彼を脅し、懇願します。マッチ売りの少女に悲劇的ではない結末を。しかしながら、アンデルセンはそれを拒否します。なぜならば物語には作者の伝えたいことがあるから。それを曲げてしまうと、それが伝えられなくなるからです。

 結果、マッチ売りの少女の悲劇は変わりません。でも、この月光条例という物語の中では、いたいけな少女にマッチを売らせる酷い父親を叩きのめし、寒空の下から少女を助け出すという新しい物語が生まれました。もとのおとぎばなしは変えられません。なぜならそれには悲劇である理由があるからです。しかし、それとは別の幸福な結末の物語だって生まれて良いはずだというのが、この月光条例という物語だと僕は捉えていて、例えば「シンデレラ」、例えば「フランダースの犬」、取り上げられた他の物語に新たな可能性を用意しています。それは、まるでマッチ売りの少女のようではないかと思いました。悲劇的な結末は変えられませんが、マッチを擦ることで一時の夢は見られます。もしかすると、それら夢の中では、現実の方が夢であるかもしれません。

 

 月光条例においてオオイミ王は誰よりも悲しい存在です。なぜならば、彼には物語上の役割があるために、ヒーローとなることが許されないのですから。しかし、彼にはそんな役割を果たすだけの意味も意義もあります。千年の孤独を感じたかぐや姫に幸福を与える場を用意するための役割、そして、デクノボーとして、不器用に自己犠牲を続けるしかなかった月光に、それでも月光がやってきたことに意義があったことを理解させる役割です。終盤のオオイミ王の台詞は説明的でありさえします。彼には誰よりも月光を見てきた存在として、月光に助けられてきたキャラクターたちの笑顔を説明するという役割が与えられていたからだと思います。オオイミ王は悪のラスボスとして、月光は不器用なデクノボーとして、月光条例という物語世界の住人としての役割を全うしながら、戦い、そして閉ざされた世界に消えていくのでした。

 

 しかし、この月光条例という物語が今までやってきたことを考えれば、このままの結末で終わっていいはずがありません。彼らにもマッチの見せた夢があっていいはずです。結末については書きませんが、ああ、優しいお話だなあと思いました。しかしながら、そこで描かれたのは月光に対しての優しさだけであって、オオイミ王についてはそうでもなかったので、そこは青き月の光を浴びて月打(ムーンストラック)された誰かがオオイミ王がヒーローとして大活躍する同人誌とかを描いたりしてくれると良いのではないかなあと思いました。