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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

Amazonは実在するのか?

 僕は小学校二年生ぐらいまでサンクロースを信じていました。信じるのをやめたきっかけは、確か家の中でクリスマスの日まで隠されているプレゼントを見つけてしまったからです。一緒に見つけた弟もまた、同時に信じることをやめました。でも、それからもしばらくは寝ている間にプレゼントを置いてもらえる日々が続いていたように記憶しています。多分小学校四年生ぐらいのときに、なんとなくその習慣はなくなったのでした。口に出したわけではありませんでしたが、親と僕の間で暗黙の情報交換が行われたのでしょう。僕はかつてサンタクロースを信じていました。でも、今は知っています。サンタクロースはいないのです。

 

 さて、Amazonはインターネットを通じて本を買える通販サイトとして始まり、今では本に限らず、CDやDVD、家電も何でも買えたりします。また、電子書籍の販売や、計算資源の販売など、多岐にわたったビジネスをしていて、とてもすごいなあと思ってしまいます。

 しかし、今の僕は昔々にサンタクロースを信じていた経験から、Amazonが実在するかどうかに若干の疑問を持っています。Amazonには大きな倉庫があって、そこには沢山の商品が積まれているみたいな情報は見たことがありますが、実際にこの目で確認したわけではありません。商品を届けてくれるのは運送会社の人で、Amazonの人と直接会うことはありません。実体としてAmazonの存在を感じるのはAmazonと書かれた箱のみなのです。僕はこれに気づいたときに背筋がうすら寒くなりました。全てはトゥルーマンショーのように、僕がみんなに騙されているだけなのではないかと。もしそうだとすると、僕を騙している彼らに必要なのは、ウェブサイトを作ること、そしてダンボールを用意することだけです。

 

 それ以外の何かの実在を僕は何一つとして確認していないのです。

 

 「サンタクロースの正体はお父さんなんだぜ!」なんていう風に同級生にはやし立てられた少年が「サンタはいるんだ!」なんて言っている光景を見たとしたら、あらあらこの子ったらと微笑ましく眺めてしまいますが、それはこんな嘘に騙されてしまって可愛いことだと思ったりするわけなのですけれど、そこには心の隙があります。自分は決して騙されてなどいないという隙です。騙されている人はいつもそうです。自分だけは騙されていない気持ちでいる。奴らはそれにつけ込んでいるのではないでしょうか。

 冷静になって考えてみてください。ネットで朝に注文した商品が夕方には到着するなんていうことがありえると思いますか?そして、その送料が無料だなんて。あんなに山ほどの商品が置かれている倉庫なんて考えられますか?僕が実際に買えることを試したのは、いくつかの家電と、CDとDVD、そして本だけなんです。僕が今まで買ったような物品であれば、イナバ物置ひとつあれば余裕で収納できる量です。ウェブサイト上に大量にあるように見えている商品は全部見かけだけの可能性があります。だって写真を用意すればいいだけなのですから。その裏に本物があることなんて保証されてなんかいないんです。

 僕はこういうケースを漫画の「クロサギ」で沢山読みました。最近では「ギャングース」なんかでも読みます。詐欺にあうひとは、自分が詐欺にあっているだなんてこれっぽっちも思ってはいない。ちゃんと確認したから大丈夫だなんて思っています。自分の目で一部だけ確認して、残りの全てがあるかのように思いこんだりしています。いると言われている本人に会っていないのに信用してしまったりしています。小道具として用意されたものを本物だと思い込んでしまっています。

 騙されているんです。でも気づいていないんです。疑っていないんです。自分が騙されているなんてこれっぽっちも思っていないんです。他の騙されている人を笑っている立場だったんです。でも実は自分も騙されているかもしれないんです。それに気づかないから笑っていられるんです。滑稽なのは、真に滑稽なのは一体誰でしょうか?

 

 僕はAmazonの何を確認したと言うのでしょう?

 

 なぜ、それを信じてしまっているのでしょう?

 

 僕はかつてAmazonの実在を一切疑わずに生活してきました。それはそうすることで辻褄があっていたからです。でももしかすると、それは誰かの作為かもしれません。たまたま辻褄があっているからそう思い込めているだけなのかもしれません。ある日突然、全部嘘だったとバラされるかもしれません。そのとき僕はどうすればよいのでしょう?Amazonで買おうと思っていた本はどこに行けば買えるのでしょう?konozamaだ!なんて笑えることはもう二度とないのです。生活の中に侵食したAmazonが急になくなればぽっかりと穴が空いてしまいます。その穴を埋めることを考えなければいけません。それはもしかすると、辛く苦しい作業になるのかもしれないのです。急激な変化は心身に大きなストレスをもたらします。

 

 僕は思うのです。もし、全てが嘘だったとしても、生きられるように覚悟をしようと。サンタクロースの不在を知ったとき、もはや記憶にはありませんが、やはりきっとそれなりにショックだったと思うんです。Amazonの場合も同じことです。しかも、今回はその可能性を既に考えているのです。きっと大丈夫です。もしAmazonが本当は全部嘘っぱちであったとしても、僕は変わらず生きていけると信じます。Amazonのない世界は、今よりもほんのちょっと不便かもしれない。でも、その喪失を抱えて生きるということ、それこそが大人になると言うことなのかもしれませんね。

 

(念のため書いておきますが全て冗談です。)