漫画皇国

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鬼について

 日本には鬼という存在がいて、昔からの民話や伝承や物語なんかに度々登場してきます。そんな鬼は現代の漫画にも沢山登場して、例えば僕が好きな漫画で言うと「鬼切丸」があります。鬼切丸は、鬼切丸という刀を携えた角のない鬼である少年が、様々な時代、様々な場所に発生する鬼を斬る漫画です。

 

 鬼の特徴と言えば、角があることや虎の毛皮を身に着けていることであったりします。これは陰陽道における鬼門という存在が、丑寅(北東)の方角にあることから、牛の角と虎の毛皮のイメージが足されたなどと言われています(それ以前には、その特徴はなかったとも言われています)。鬼という存在は、厳密な定義があって、それが参照されているというものではないので、他にも様々な特徴が登場する場所ごとに付け足されたりしているようなのですが、僕が読んできた本の中で代表的な特徴は、「人を喰う」ということ、そして「人が鬼になる」ということです。

 前者がほぼ確実にある特徴である一方、後者のイメージは「ある物語」と「ない物語」がありますが、先に例を挙げた鬼切丸にはこの特徴が大きくあります。鬼切丸における鬼には鬼のオスとメスによる繁殖能力がなく、恨みを抱えた人(生死を問わず)が鬼に変化したり、鬼が人間に鬼の子を産ませたり、あるいは「鬼おとし」という女を鬼におとす力を持った一族がいたりするのでした。この物語において、鬼は単独で存在するのではなく、元をただせば全て人に行きつきます。

 昔話においても例えば「般若」は嫉妬や恨みを抱えた女が変化した鬼女であったり、東北地方に伝わる「鬼の子小綱」などのように鬼が人間の女をさらって子供を産ませるようなお話も枚挙にいとまがありません。また、現代の言葉にも例えば、「殺人鬼」などのように鬼という呼称が人間を相手に使われることもありますし、もっとカジュアルに厳しい人を鬼と呼ぶこともあります。また、端的に表しているのは、「鬼ごっこ」で、このゲームの中では人が鬼になり、鬼が人になったりもします。

 このように鬼と人というのは単なる別の種族ではなく、相互に行き来するような関係性があるというイメージがあるのではないかと思ったりしました。

 

 また、鬼という言葉の入ったことわざや慣用句も沢山あります。「鬼の目にも涙」「来年のことを言えば、鬼が笑う」「心を鬼にする」「鬼に金棒」「渡る世間に鬼はない」「鬼のいぬ間に洗濯」「鬼が出るか蛇が出るか」「鬼の首をとったように」などです。これらの言葉から得られる鬼のイメージとして「強い」「恐ろしい」「敵である」というものが見て取れます。つまり、これらのイメージを持っている人が鬼と呼ばれる可能性があります。例えば、「鬼教官」や「鬼軍曹」などのようにです。

 

 これらを踏まえて、鬼という存在が人間にとって何であるかを考えると、人間は鬼になるものであり、鬼になると「強く」「恐ろしく」「人間に敵対する」存在であるということになります。つまり、人間社会における鬼という概念は、元々その社会にいた人間が、ある種の社会のルールを踏み越えて、自分たちに敵対する存在になることを示しているのではないでしょうか。となった場合、鬼の「人を喰う」という特徴はそれを概念的にも物理的にも示していると言えます。人を殺して敵対するような存在であり、また人は人を喰わないというタブーを犯しうる存在であるということです。自分の属する人間社会のルールに縛られない脅威こそが「鬼」ではないかと考えました。であるならば、昔からの民話や伝承、物語のあちこちに「彼ら」の存在があったことは納得のいく話でもあります。

 

 さて、グラップラー刃牙シリーズには「地上最強の生物」と呼ばれたりする範馬勇次郎という登場人物がいます。彼は主人公・範馬刃牙の父であり、作中の最強の人物です。そんな範馬勇次郎が「強さ」とは何かということを語ったとき、それは「我が儘を通す力」と表現されました。言い換えれば自分のルールを相手に受け入れさせることができる力こそが「強さ」だと言うのです。つまり、ここで言う強さとは上記の鬼の特徴でもあります。

 そして、範馬勇次郎の一番代表的なあだ名は「鬼(オーガ)」なのでした。それには、彼の異様な背中の打撃用筋肉(ヒッティングマッスル)が鬼の面のような形をしているという理由があるわけですが、彼の生き様自体もまた、人間社会における鬼を象徴しているのではないか??ということをさっきふいに思ったので、書き記しておこうと思った次第です。