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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「失恋ショコラティエ」のサエコについて

 人間にはそれぞれ才能みたいなのがあると思います。それは走るのが速いとか、記憶力がいいとか、力が強いとか多方面に渡ると思います。では、もしそれが「他人に自分を好きにならせる力」であった場合はどうでしょうか?それを行使することは、どのような結果を引き起こすでしょうか?1人の人間の愛情を享受するのは、1人の人間であるべきという前提を置いたとき、この力は邪悪と判断されがちだと思います。集められる他人からの好きの全てに応えることができなくなるからです。応えてもらえなかった人は不幸と感じるからです。世の中に不幸を増やす才能は邪悪と判断されます。

 「め組の大悟」で、災害救助の才能をもつ大悟は、自分の能力が求められるのは災害が起きたとき、不幸が発生したときだけということに悲しみを感じます。自分の能力が行使されない環境の方が幸福で、本来そんな状況が起こらないことの方がよいからです。自分に存在する数少ない才能が、ない方が幸せであるということに悲しみを感じます。また、「金色のガッシュ」では魔法を使えることが分かったガッシュが、清麿にその力の危険を諭されて反発します。それが何にもないと思っていた自分の唯一の才能なのだと。

 さて、「失恋ショコラティエ」のサエコは、他人に自分を好きにならせるという才能を備えた登場人物だと思います。半ば意図的に他人を翻弄し、自分に対する注意を向けさせようとし、好意を引き出すことが上手です。それは自身が結婚してからも変わりません。夫がいるにも関わらず、主人公の爽太の好意をくすぐる行動をとり続けます。爽太もそれに気づきますから、好意を持ちつつもあえてそれをすかしたり逆手にとってみたりという駆け引きを講じます。二人の目的はある種共通しています。「相手に自分を好きにさせるということ」なのです。

 

 さて、原作漫画を読む限り、サエコは嫌な女として描かれているように思います。それは爽太を好きなるエレナや薫子という存在がいるからです。彼女たちの爽太への好意は、既に夫もいるサエコによってないがしろにされてしまいます。自分の利益のために、そして、さらにそれが社会通念的に正当とされないにも関わらず、他人の利益を阻害する行為と言うものは嫌な行為として捉えられるからです。でも、問題は爽太がサエコを好きであるということなのでした。

 

 作中では、対比されるような状態として、オリヴィエとマツリの恋愛が描かれています。マツリの彼氏はマツリの友達とも付き合っていて、二股をかけていることになっています。そして、マツリは、友達を裏切りつつも、それ以上に彼氏が好きであるためにそれをなかなかやめることができません。そこに金持ちでイケメンで、オタクであること以外には非の打ちどころのないオリヴィエがマツリを好きだというわけです。客観的に見れば、それを受け入れることは正当です。自分だけに真摯に向き合ってくれる非の打ちどころのない男と、二股をかけている男、正当性で言えば前者をとるのが当然に思えます。しかし、実際はそれは困難です。なぜなら、マツリはオリヴィエよりも二股をかけてくるような彼氏の方が好きだからです。客観的な損得勘定とは異なるのです。とても主観的な話です。

 

 ひるがえって、爽太とサエコもまた同じです。客観的な読者目線から言えば、サエコを選ぶことはおかしいと思われるものの、爽太がサエコを好きである以上は仕方がありません。そこには、サエコが、エレナよりも薫子よりも、ずっと爽太に好かれるための行動をとっていることも関わっていると思います。より好かれるための力を発揮したものが好かれるという話です。サクセスストーリーです。それが悪とされるというのは、それが他の人を不幸にしていると読者には見えてしまうからです。

 

 昨日、テレビをつけていたら、ちょうどドラマ版が放送されていて、そこには石原さとみが演じるサエコがいたのですが、そこから発せられる「目の前の男に好かれる力」がヤバい感じでした。原作漫画よりもより具体的に主観的に見えてしまったそれには、客観的なこうした方が良いという選択を帳消しにするような「それで許される力」があって、ああ、松本潤が演じる爽太の選択は、その主観において圧倒的に正しいと思わせる感じだったのでした。

 

 物語が進むにつれて、サエコの置かれている状況の辛さも描かれます。夫との不和とDVにより、居場所がなくなる自分の家を飛び出すことを考えた場合、頼りになるのは自分の力だけです。その自分の力とは、爽太に好かれる力として作中では発揮されています。サエコの主観で考えた場合、それは果たして悪いことなのでしょうか?自分が持っている才能を発揮することが、他人を傷つける結果になったとして、そして、その傷つけるというものも、視点を変えれば勝手に傷ついたとも言えるわけで、それを悪いと言われたときに、であればDV夫の元にとどまることが正しいのでしょうか?単純な答えはないと思います。

 

 実際にこういう人が自分の回りにいたら面倒くさいことになるなあということ、でも、こういう人は得てして魅力的であって、面倒事はそれがゆえであるということ、そして、自分が得意なことを自分のためにすることが周囲に嫌がられてしまうという状況の悲しみみたいなのを、ドラマを観終わったあと、既刊7巻読み返していて思ったりしたのでした。