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漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

風雲「なら、お前がやってみろ」話

 インターネット拳法ってのがある気がするんですけど、インターネットが一般的になったこの二十年ぐらいの間にインターネットの上では沢山の争いごとが起こったりなんかしていて(パソコン通信をいれるともっと長い期間かもしれませんが僕はパソコン通信は「オレ通AtoZ」でしか知らないのです)、この手の揉め事にはこう返す、その反論にはさらにこう返す、みたいな型が生まれていて、同じような事態が起きたときに、拳法家の人たちが同じような伝統的な論法(拳法)を互いに繰り返し、お互いに勝利宣言して痛み分けみたいになるような感じです。

 そのようにみんなの力で辿り着いた、みんながあまり傷つかないように調整された型が受け継がれた結果、似たようなニュース等には似たような型のコメントがつき、そのコメントには似たような型の反論がされたりしている感じがします。ここから「北斗の拳」における北斗宗家の秘拳のようなものを連想します。この極められた拳法においては、それぞれの極められた攻撃法に対応する、極められた防御法が存在する感じです。

 

 さて、その中のひとつに、何かについての批判的な意見が表明されると「なら、お前がやってみろ」と反論する型があると思います。

 この型は否定的に捉えらがちな感じがします。なぜならば、一般的に人は専門の分野より非専門の分野の方が多いので、否定することの方が合理的だからです。つまり、この手の「お前がやってみろ」という反論を正当と認めてしまうと、自分が専門的な知識を持っていない分野への意見が封殺されてしまうものなので、正しい正しくない以前に損をする人が多いですから、そんなものを認めるわけにはいかないのだと思います。なので、この攻撃法に対する代表的な防御の型は、「それを言い出したら、多くのことについて何も言えなくなるだろう」っぽい感じです。具体的に言うと、料理を作れなければ美味いの不味いの言ってはいけないのか?という感じです。

 

 さて、僕個人の考え方では、この防御の型にはそうだよなあと思う部分と、そうではないのでは?と思う部分があります。そうではないのでは?と思うのは、この型の持っている問題として、そもそも作り手と受け手が対等の立場ではないということが考慮されてないように思うからです。その立場を守った上での言葉を僕は肯定的に捉えていて、その立場を侵している言葉は否定的に捉えている感じです。

 具体的に言うと、受け手が「これはこういう風に変えれば、もっと良くなる」と主張するのは作り手の立場を侵しているように思うので良くないと感じています。作り手の視点が入るのではれば、「なら、お前がやってみろ」という意見は正当のように思うからです。また、作り手が「これは素晴らしいものだから、素晴らしいと感じろ」というのは受け手の立場を侵しているように思いますので、同様に良くないと思っています。

 なぜ、立場を侵すことが良くないかと言えば、立場が異なると利益が異なるからです。同じ立場であれば、自分の言葉が自分にも返ってきますから、当然それを考慮した意見になりますけど、異なる立場であれば言いたい放題ですから、無責任に無理な要求を突き付けるはめになりますし、それは少し卑怯に感じます。卑怯は良くない。

 例外があるとすれば、作っている人に十分なお金を出している場合です。無理な要求の対価を自分で支払うことになっているからです。念のため書いておくと、お金を出すというのには、例えば製品なり本なりを買ったりというのも含まれはしますけど、100万冊売れた本に対する意見を言う権利は100万分の1になるので、実際はほとんど無視できるような権利しかなさそうです。

 

 一方、お互いが相手の立場を侵さず、例えば、作り手が「良いものが作れたと思う」と自己満足することや、受け手が「自分にはつまらないと感じた」という感想を表明することであれば、それは誰にも妨げられるようなものではないと思います。

 そういえば、ときに「建設的な批判」と称される、対案のある反論というのはその意味で大変失礼なことではないか思っています。理由は前述のとおり、それは受け手の立場にいる人が、作り手の立場を侵しているように思うからです。作り手の立場で表明された意見であるならば「なら、お前がやってみろ」という言葉にも正当性が生まれてしまいますから、その言葉で以上終了っぽい感じに思います。

 

 まとめると、何かを見て「つまらない」とか言う権利は誰にも全然あると思いますけど、「こうすれば売れる」みたいな意見には「なら、お前がやってみろ」って反論で封殺オッケーだなと僕が思っているという話で、また、その意味で「建設的な批判」と称されているものいうのは、余計に失礼だなあと思っているという話でした。

 

 ちなみに、この文章で最も言いたかったのは、同じ定型的なやりとりがインターネット上の論争でループしているのが北斗宗家の秘拳と似ているのでは??という部分ですから、そういうのを見かけたときには僕と同じように「北斗宗家の秘拳だなあ」と思って頂けますと幸いです。