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おおかみこどもの雨と雪について

 「おおかみこどもの雨と雪」は好きな映画なんですけど、理由は二つあって、一つ目は僕が過疎の進む辺鄙な田舎で幼少期を育ったので、田舎の風景や、近所の爺ちゃん婆ちゃんらに世話になったことを思い出して勝手に泣けたというか、あれからもう随分な時間が過ぎましたが、思い返せば色々なことがあって、あの頃は都会に出てきて今のように働いているなんて思いもしなかったなあという、個人的な時間の重みみたいなのを感じたという映画の内容とは関係ないもの、二つ目は、僕は家庭環境のせいで実家を出るまではずっと赤ちゃんや幼児の世話をしながら暮らしてきたのですが、その頃に面倒をみていた子供たちが最近いつのまにか立派に成長していて、まだ学費の援助などはしていますが、少し子離れのような気持ちになったということと、映画の中のおおかみこどもの二人を育てるお母さん「花」の立場がシンクロしたということです。

 

 つまりは、自分の内面のことを考えて自分で勝手に感情を昂ぶらせて泣けた感じがあるので、そうではない人はそうでもないのかもなあと思ったりもします。

 

 映画の語り手は娘である「雪」ですが、僕にとってこの映画は花の映画だなあと思いました。しかしながら、花は行動は描かれていても、内面は言葉として描かれてはいないので、映画の中で行われる沢山の選択が、何を考えてそうしたのかということはあまり明示的には描かれません。なので、それは観た人が勝手に補完するものなんじゃないかと思って、結局また同じことを言いますが、映画の感想には個人の内面が色濃く反映されるんじゃないかと思いました。

 

 花は父親との父子家庭で育ちますが、その父親も亡くして天涯孤独となってしまいます。親戚はいたのかもしれませんが、頼れるほどの親密なものではなかったのでしょう。花は大学に通います。それはおそらく自分は一人であるので、一人で生きていくために手っ取り早い方法は勉強をして学歴なり資格なりを得ることだからなんじゃないかと思いました。

 

 しかしながら、そんな花はそこでモグリの学生である男と出会います。そして彼はなんとおおかみおとこなのでした。二人は付き合い、子供を授かります。花は喪失していた家族を再び手に入れることができたのでした。花は大学に行くことをやめてしまいますが、それは一人で生きる手段が勉強なのであり、家族を得たのであれば、それはさほど重要ではないことなのだと思います。つまり、花の持つ心の傷は孤独であり、それが家族を得たことで埋まったんじゃないかと思いました。事実として、おおかみとしての本能から早々に親離れをして去ろうとする息子の「雨」に対して、花はこう言います。

 

「まだ、あなたに何もしてあげてない」

 

 人間が他人にしてあげたいと思うことは、自分がして欲しいことであったりすると思います。なので、この「何もしてあげてない」ということは、自分は早くに親を亡くしてしまい、「十分に何かをしてもらえなかった」ということの裏返しなんじゃないかと思いました。花が家族に執着したのは自分のためだったのだと思います。だからこそ、おおかみに変身する我が子を病院につれていくことをためらったりもします。それはもしかすると、子供を奪われてしまうということになるからです。経済的に辛かろうとも二人目の子供を産むことにも躊躇がないのは、それよりも家族が増えるということに価値を感じたからなんじゃないかと思いました。

 

 ちなみに、僕の育った環境が経済的な問題などを考慮せず子供を作って、後からどうするか考えるみたいな感じだったので、個人的な感覚としては子供なんて無責任というと語弊があるかもしれませんが、将来設計みたいなものをいちいち細かく考えたりはせずに作るもんだよなあというものがあります。とはいえ、それですごく苦労もしましたし、いまだにお金の面などでも決して余裕はないのですが、だからと言って、子供の数がもっと少なかったら良かったのにと思ったことはない感じです。そして、こういう感覚はもしかするとあまり一般的ではないのかもしれません。

 

 さて、夫が亡くなった後に、周囲の人を頼らずに孤独に子育てをするということ、田舎に引っ越してしまうこと、そういった花の選択は、子供との生活を継続するという目的のみで動いているように思いました。また、「なんでも、できるかぎり一人でなんとかしなくてはいけない」という、親を早くに亡くしたゆえの自立心みたいなものも見て取れました。二人の子供を抱えて土地勘もない田舎へ移住して、一人で頑張ると言うことは、簡単なことではありませんが、またもとの孤独な生活に戻るよりはましだったのだと思います。

 

 最後の台風の中、学校から帰ってこれない雪と、山に向かってしまった雨がいて、花は雪を迎えに行くよりも、雨を追うことを選びます。これは愛情の差とかではなく、帰ってこようとする雪と、去って行こうとする雨の対比なんじゃないかと思って、子供たちとの生活の継続を望む、花にとっては追うことを選んでしまうのが自然に思えました。

 

 そして、台風一過、狼として立派に成長した雨の姿を花は見てしまいます。一度は前述の引き留める言葉を発したものの、すぐに思い直してこう言いなおします。

 

「元気で、しっかり生きて」

 

 これは、ようやく子供に執着していた親になりきれない親であった花が、育てた子供を送り出せる、一人前の母親になれたということなんだと思いました。ここで、僕はボロボロと泣いてしまったのですが、なぜかと言うと、最近、妹の一人が無事就職して働き始めたのですが、この子はもう僕の金銭的な援助がなくてもしっかり生きていけるというようになったのだなあと感慨深くなったことをすごく思い出したからです。僕が意外と一生懸命働いてお金を稼いでいることの理由の大きな部分は、そのお金で学校に通って生活をしている子供たちが地元にまだいるからです。僕はとても怠け者ですから、一人であったならばもっと楽な仕事をしているような気がするので、ある種、僕も生きていく上で子供たちに依存している人間であるのだと思います。だからこそ、未練を断ち切って笑顔で子供を送り出せる母親の姿にぐっときてしまいました。

 

 エピローグでは、娘の雪も進学のために親元を離れてしまいます。そうして、花はまた一人に戻ってしまうのですが、それはかつて花が持っていた孤独とは意味が違います。もう子供に依存しなくても生きていけるようになれたからです。

 

 というふうに、僕の中では処理された感じでしたが、映画の中では明示的には描かれない欠けたピースを僕は勝手に自分の体験で埋めてしまって、それで感情を上げたり下げたりしている完全な自家中毒な感じではあります。

 

 ただ僕は多分、この映画を人生の節目節目に見返すんだと思っているのです。