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シン・ゴジラのシン(秦)について

はじめに

 「シン・ゴジラ」を公開の次の日に一回観たんですけど、そのあと4DXでももう一回観たりしました。面白かったからです。その内容に関しては面白かったなあということ以外に特に言いたいことはないんですが、「シン」って何かね?っていうことが気になります。みなさんもどうせ気になるでしょう?

 英語版のタイトルが「GODZILLA RESURGENCE」らしいので、ゴジラの再誕というか、また初めてゴジラが日本に現れるところからやってみましょうという感じで、「新」なのかな?っていう感じかもしれませんが、わざわざカタカナにしているのは、他の文字も当てはめていいですよ?みたいな感じかもしれません。「真」とか「神」とか、色んなシンが世の中にはありますけど、僕が思うに「秦」じゃないかなあと思ったりします。

 

秦の始皇帝

 「秦」とはかつて存在した中国の王朝です。ご存じ、始皇帝の秦です。なぜ秦だと思うかというと、この映画は秦の始皇帝の話を下敷きにして構築しているのではないかと思うからです。結論から書くと、「東の海より現れる不死の龍」という存在が始皇帝の目指したものそのものです。

 

 始皇帝といえば、中国を統一し、「皇帝」という称号を最初に名乗った人物であり、不老不死を求めた人物でもあります。彼は徐福という男に、東の海の向こう蓬莱にある不死の霊薬を探しに行くように命じます。徐福は数多くの童男童女や職人を連れ、東の海に船を漕ぎ出し、結局帰ってこなかったと言い伝えられています(実際は海に出ずに始皇帝から金をせしめて逃げたという話もありますね)。とにかく、始皇帝といえば不老不死です。

 

 そしてまた、始皇帝は「龍」に喩えられます。代表的な伝説では、諸国を回っていた始皇帝がひとつの噂を耳にします。それは「祖龍が今年死ぬ」というものです。「祖龍」とは人の祖先を示すものだと始皇帝は言いますが、その一年後、始皇帝は死んでしまいます。つまり、始皇帝こそが祖龍であったということです。

 中国の皇帝には龍のイメージがつきがちです。そもそも皇帝という言葉自体が、中国の神話の時代の三皇五帝という存在に由来します。三皇と呼ばれるのは神のような存在で、何を三皇とするかは文献によって異なりますが、「史記」によれば「伏義」「女」「神農」がそれにあたります。このうち、「伏義」と「女」は夫婦とも兄妹とも言われる、人類の始祖であり、その姿は人面蛇身の姿をしています。中国神話の思想では、人類の祖には蛇がいるということです。これは龍と置き換えて認識してもいいでしょう。

 五帝とは、神話の時代に活躍した帝王のことですが、その最初の人物である黄帝もまた龍と関連の深い人物です。龍の姿を持つとも言われ、神農の末裔である蚩尤との戦いでは翼の生えた龍である応龍の力を借りてこれを打ち倒します。始皇帝の行動は黄帝に倣ったと解釈できる部分が多々あります。中国を統一した黄帝は、ついに不老不死の仙人となり、龍の背に乗って天へと消えていったという伝説が存在します。始皇帝もまた中国を統一し、不老不死を求めました。ちなみに始皇帝が目指した永遠なる存在は「真人」とも呼ばれます。ここにもシン(真)が登場しましたね。

 さて、三皇にも五帝にも龍の要素はあります。そこから名前をとった皇帝が当然龍を象徴するものであるのは自明です。事実、五本の爪を持つ龍は皇帝の象徴として色々な場所にその姿が残されています。

 

ゴジラ=徐福説

 始皇帝が目指した姿が不老不死の龍であったのだとしたら、そして、その姿を得る道がはるか東に眠っていると考えられていたとしたら、もしかするとゴジラこそが始皇帝の目指した姿であったのかもしれません。しかし、始皇帝はそこに至ることなく命を落としてしまいました。ではあのゴジラはいったい何か?それはおそらく徐福の成れの果てでしょう。始皇帝の叶えられなかった夢を叶えた男こそが徐福なのです。

 

 シン・ゴジラの劇中では、ゴジラの生命のメカニズムを解明しようとする過程で、人類がいまだ知らない未知の物質を発見され、それは人類にとっての「福音」でもあると主張されます。東の海より徐に立ち現れる福音、それはつまり「徐福」ということではないでしょうか?そして、福音にはもうひとつの解釈のしかたがありますね。そう「エヴァンゲリオン」です。ここで、徐福=ゴジラエヴァンゲリオンという図式が成立します。

 本筋ではありませんが、エヴァンゲリオンが徐福であることは、これまでの学説からして自明だと思います。念のため根拠を書いておくと、新劇場版の「序破急(Q)」は、「徐福」が長い歴史の中でなまったものであるという理解が識者の中では定説です。徐福が引き連れたのは童男童女、そして百工と呼ばれる技術者たちであることも、チルドレンとNERVというふうにエヴァンゲリオンと符合しますね。

 

 話を戻して、つまり上記の仮説が正しいとすると、秦・ゴジラとは、始皇帝の命により、蓬莱へ不老不死の霊薬を探しに行った徐福が、日本を越えて東の海の果てで藻屑となり、2200年以上の長い年月を過ぎて、ついには始皇帝の追い求めた不老不死の龍の姿を獲得し、日本に上陸する物語であると言えます。

 

なぜゴジラ(徐福)は日本にやってきたのか?

 ここに残る主な疑問は以下3点でしょう。

1)なぜその姿を獲得するに至ったのか?

2)なぜ今だったのか?

3)なぜ中国ではなく日本にやってきたのか?

 

 これらの疑問に関してひとつひとつ僕の解釈を書いていきます。

1)なぜその姿を獲得するに至ったのか?

 多少ネタバレとなりますが、秦・ゴジラは最初から龍のような姿であったわけではありません。元は深海に棲息する海洋生物が、海に投棄された放射性物質の影響で突然変異を起こしたものであったと考えられています。

 ここで思い出すのは大鮫魚のことでしょう。これは徐福が始皇帝に申し立てた、蓬莱への船旅を邪魔する存在です。これはまた、「太平記」では龍神が変化した姿と記述されています。そして、始皇帝はこれの中の一魚を殺し、ほどなく病で亡くなったと伝えられます。

  もしかすると徐福は大鮫魚に取り込まれてしまったのではないでしょうか?その正体が龍であることからその存在は不死であり、蓬莱にある不死とは、行く手を妨げるかに思えたこの魚そのものを意味していたのかもしれません。このような海洋生物として、水底で穏やかに暮らしていたはずの徐福は、前述の放射性廃棄物による影響で一変します。生来の不死の力は暴走し、以上変化を遂げることとなります。その姿が元の龍神の要素を色濃く見せるものであったとしても不思議ではないでしょう。

 つまり、かくの如くして、徐福は不死の龍へと変態を遂げたのです。

 

2)なぜ今だったのか?

 おそらく、きっかけは、東京湾で謎の失踪を遂げた牧悟郎博士でしょう。まず、彼が何者であったかを解き明かす必要があります。

 「牧」と言えば、牧場のことです。古代日本においては天皇の命により開発された勅旨牧が多数存在し、例えば、信濃十六牧の大野牧は秦氏が牧長でした。古代の日本には始皇帝の末裔を称する秦氏という渡来系の人々が存在しており、彼らは天皇家と深い付き合いがあったと記されています。中でも、厩戸王(聖徳太子)と秦氏秦河勝の関係は深く、ここにも牧(馬)が関係しています。

 つまり、牧悟郎博士は、秦氏縁の人物であったのではないでしょうか?彼こそが始皇帝の末裔であり、祖先の果たせなかった夢を果たそうとした人物であると考えられるのです。

 

3)なぜ中国ではなく日本にやってきたのか?

  ゴジラが日本に最初に現れたのは東京湾の羽田沖、羽田は秦に通じます。つまり、始皇帝の末裔たる牧悟郎が、秦氏の縁の土地である羽田沖において、始皇帝に恨みを持つ徐福を呼び寄せたとは考えられないでしょうか?

 姿を消した牧悟郎博士はどこへ行ったのでしょう?それは明確には描かれませんが、ひょっとしたらゴジラに取り込まれてしまったのかもしれません。それはつまり、不死の龍となることを求めた秦の始皇帝が、ついにその悲願を達成したことを意味するのです。

 

まとめ

 このように、「シン・ゴジラ」が「秦・ゴジラ」であるということの非常に確度が高い論考が僕によって発表されたことになりましたが、いかがでしょうか?どこまで信じられますでしょうか?僕が思うに、最初の段落で大半が脱落していると思うんですが、この文章は最後まで読まれるんでしょうか?

 ともかく、みなさんもシンの意味について考えてみるといいですね。